スチュワーデス
【4月22日 記】 出張で飛行機に乗ると時々思っていたことなのだが、スチュワーデスという言葉はどうしてなくなったのだろう?
それで、一昨日出張から帰ってから調べてみたら、アメリカの所謂 Political Correctness の流れで性差のない語である Flight Attendant に改められたと言う。
でも、Flight Attendant(日本では Cabin Attendant、「CAさん」)って割合つまらない表現ではないか。翻訳すると「機内接客係」「客室介添人」? まあ、もうちょっと日本語らしく意訳すると「添乗員」「客室乗務員」というフツーっぽい表現になる。
子供のころ、女性はスチュワーデス、男性はスチュワードと教わって、ふーん、面白いなあと思っていたのが、中学に入って英語を習い始めて、なるほど God と Goddess の関係と同じか!と大いに感心した覚えがある。
何よりも、スチュワード、スチュワーデスというのは飛行機でしか使わない表現であることが飛行機に乗ることの非日常的な感覚を高めていたように思う。
そう、そもそも飛行機に乗ること自体が、あの時代は非日常的な体験だった。
スチュワーデス以外にも、タラップとか、搭乗券とか、シートベルトとか、飛行機でしか使わない、飛行機でしかお目にかからないものがたくさんあって、それがいやが上にも旅の非日常性を高めてくれたように思う。
今では地方の空港でしか使うことはないが、僕らはいつもタラップを上って飛行機に乗った。アップダウンクイズはそれを模して10問正解するとゴンドラにタラップが繋がった(そこを降りてハワイに行くのだw)。
飛行機に乗るには航空券と搭乗券という2種類の切符があって、それを切り替えなければならないということにも驚いたが、それを知ったときに思ったのは面倒くさいということではなくて、なんか特別な乗り物という感じだった。
そして、僕が幼少の砌には、乗るときにベルトを締めなければならない乗り物は飛行機だけだった(それに近いのはジェットコースターだった)。
科学の進歩で非日常性はどんどん失われて行く。社会の進化で性差のある単語は消えて行く。
大筋としては良いことなのだろうが、それを少し淋しく思うこともある。
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