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Tuesday, April 17, 2018

自分の映画評を考える

【4月17日 記】 ああ、あの映画はひどかったなあ、と不意に思い出して昔書いた映画評を繰ってみると、それほど貶していなくて意外に思うことがたまにある。

ま、それもそのはずで、一応僕はどんな映画でも無下に貶さないことを心がけている。これはどうも今イチだな、とか、いやあ、これはさすがにひどいなあ、などと思っても、一生懸命褒められるところを探して書いている。

自分でそんなことを心がけていながら、自分の過去記事にボロカスな表現を求めるなんていかにも矛盾している。

しかし、こういう可能性もある: 観た直後はそれほどでもなかったのに、ときが経つにつれて悪印象が募ってきたのだ、と。

確かにそういう作品もあったと思う。でも、「この映画は観ている最中から沸々と嫌悪感がわき上がってきて、見終わった時の幻滅感もはっきり憶えているぞ」という映画であってもやっぱりあまり貶していないので、まあ、必死で抑えたケースもあるということだ。

逆に、これは一体どう褒めれば良いのだ!と憤りながら、それでも必死で抑えて書いた映画評を、たまたまその映画の関係者だった知人が読んで、「あまりにひどく書かれた」と憤慨したこともあった。

僕にしてみたら、これほど抑制して書いたのに、憤慨されるのは心外で、その時は「いやいや、もっともっともっとひどく書くこともできたんだぞ」と怒鳴り散らしてやりたいほどの悔しさを覚えたりもしたもんだ。

ま、ことほどさように人の感じ方、捉え方は多様であるということである。

映画評を書くということは、自分がその映画から何を感じ取ることができるかを試されているような面がある。褒めるか貶すかは重大なポイントではない。

そして、自分の書いた映画評を再読するという行為は、その映画の良し悪しを確かめる作業なのではなく、その時の自分の感性を再確認するためのものだと思う。その時褒めたか貶したかにこだわる必要もないだろう。

結局のところ、無理に褒めようとか、意地になって貶そうとかせずに、自然流で書くのが一番良いのかもしれない。ま、言うほど簡単ではないのだけれど(笑)

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