名にし負はば
【4月5日 記】 妻が長命寺の桜餅を買ってきたのだが、その包の中にあった解説を読んでいてはたと気づいた。
そうか、言問橋、業平橋という名前を何度も聞きながら、僕の頭の中では今の今まで「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌と、作者である「在原業平」という名前に結びついていなかったのだ。
これは古典文学の中でも僕が大好きな『伊勢物語』に出てくる歌で、もちろん歌も暗記しているし話の内容も憶えている。それでも「言問」が「いざ言問はむ」と結びつかなかった。痛恨の極みである。
浅草は結構好きな街で、自分で行くだけでなく、大阪から家族や友人が来たときに連れて行くと喜んでくれた。その浅草からほど近いところに隅田川が流れている。
営業マン時代、大手取引先のひとつが吾妻橋にあったこともあってあの辺りにはよく行っていた。吾妻橋のひとつ北側に架かっているのが言問橋である。だから名前はよく聞いていた。でも、「言問団子」のある言問橋、あるいは「長命寺桜もち」のある桜橋の辺りまで足を伸ばしたことはあまりない。
そういうこともあるのだろう。
そして、名前を聞いたことはあったが、業平橋には長らく行ったことがなかった。しかも、初めてその辺りに足を踏み入れたときには「業平橋」という駅は「とうきょうスカイツリー」という駅名に変わってしまっていたのだ。
だから印象が薄いのかもしれない。
いや、それよりも、あの歌を学校で習ったとき、都=京都という理解はできていたものの、在原業平が想い人を京に残して「東下り」をしてたどり着いた先が、まさか今の東京都墨田区だとは思いも寄らずに読んでいたのである。
田舎の川かと思ったら大都会じゃん、みたいな驚き。
調べてみると、言問橋の名前はまさにこの歌に因んだものであり、業平橋の名前は業平が亡くなった場所だという説に基づいている。
いずれも伝説に近いものであり歴史的に証明できる事実ではなく、諸説あるようではあるが、なんであれ業平が「名にし負はば」と歌ったのが隅田川であることは間違いないらしい(もうひとつ上流の白鬚橋に近いところのようだ)。
桜餅を食って文学と歴史が繋がった。それこそ「名にし負はば」という思いを身を以て経験したのであった。
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