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Saturday, April 21, 2018

『ラ・ラ・ランド』

【4月21日 記】 かなり遅まきながら、WOWOWで録画しておいた『ラ・ラ・ランド』を観た。

公開直後ならともかく、これだけヒットして賞も獲って評価の定まった作品を、今さら僕がとやかく書いても仕方がないような気がするので、全体像ではなく部分的に思ったことを書く(笑)

まず、直接この作品と関係ない話から入る。

近年、舞台公演を撮影してそのまま映画館で上映するイベントがあるが、僕はこの手のものは観ない。舞台というのは観客が自分の目で、自分の視点で自由に芝居を見るものである。それをカメラで切り取られるのは、とりもなおさず観客の自由度が制限されることを意味しており、それはつまらないと思うからだ。

大体において僕は台詞を言っていない側の俳優のリアクションを追っていたりする(いや、芝居だけではなく、映画なんかでも台詞を言っていないときの出演者がどんな表情をしているかを見つめていることがある)。

そういうところが鑑賞の面白さなんだから、それを自分たちのカメラで独善的に切り取ろうとするのは無粋だと思うのだ。

ミュージカルというものはそもそも舞台芸術であり、舞台いっぱいに繰り広げられるパフォーマンスは、全体が綺麗に構成されているがゆえに(つまり、端のほうの出演者もちゃんと歌ったり踊ったりしているわけで)、見るべきところはたくさんあり、だから、自分の目で選んで観たいのである。

そういう意味で言うと、この映画の場合(というか、こういう類の映画は往々にして)そのせっかくの全体表現であるミュージカルの一部分を切り取ってしまうことになるのだ。

ところが、この『ラ・ラ・ランド』の冒頭にはそのような窮屈さが全くない。観客にそんなことを思わせる隙きをまるで与えないのである。

あれだけの大規模な集団演技を、カメラは一度も切り替わることなく、圧倒的な長回しで、画面に映り込む人間が交代しながら、一方でカメラのほうで動いて映っている人間を変えながら、見事にストーリーを展開している。

言わば観客の目の自由を奪いながら、逆に見るべき対象を次々に与えてくれるわけで、しかもその与え方が極めてプロフェッショナルなので僕らは度肝を抜かれるのである。

カメラが切り替わっていようがいまいが、見る側にとっては別にそれほどの意味があるわけではなくて、ただ歌と踊りが卓越したものであればそれで良いのだが、しかし長回しでひと綴りのシーンとしてあれだけ多くの出演者による演技を一気に捉えていると気づくと、やっぱり観客はそこに魅了されてしまう。

つまり、あのデザイン力に僕らは脱帽するわけである。

この映画は最初から最後までこのデザイン力で引っ張ってくれた。そして、あまりにステレオタイプの白けてしまうようなハッピーエンドにしなかったのが偉いなあと思った。

僕はかなり堪能した。もっとも、恋愛モノが嫌いな妻は、結構退屈しながらなんとか最後まで観たという感じではあったが(笑)

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