読書を巡るあれこれ
【4月10日 記】 近年、本を読む量がめっきり減った。読書のスピードが落ちたのではない。読む時間が減ったから読む量が減ったという当たり前の現象である。
僕はもう何年も通勤電車の中でしか本を読まない(本と言っても基本は Kindle なのだが)。それも帰りの電車だけである。行きは新聞を読んでいる(新聞と言っても電子版なのだが)。
で、今の家に変わってから電車に乗っている時間が短くなった。読める時間は1日約20分である。
とは言え、今までに住んでいた家と比べて激減したわけではないし、今の家に変わってから一気に読む量が減ったわけでもない。読もうと思えば他で読む時間を作れないわけでもないわけだし。
でも、他人事みたいに言うと、要するに読むがなくなったのだな、とも思う。でも、全く読まなくなったわけではなく、読むという行為は不断に続けているので、結局のところ読みたい本が減ったのかな、とも思う。
僕が読みたいのは主に文学である。この十数年で書店の棚からも新聞などの書評欄からも小説というジャンルはどんどん消えているように思う。
ま、いずれにしても、読む量が減ったことがそれほど問題とも思っていないのも事実で、だから、これではいかん、生活パタンを変えてもっと読む機会を増やそう、などとも思っていない。
そこでふと、ならばもう少し読む時間を増やしてみようかな、と思った。この辺の感覚が解ってもらえるかどうか分からないが、つまりは逆の発想である。
本を読むことは良いことだ、という前提に立って、このまま読書量が減るのは良くないからなんとか読む時間を増やそうというのではなく、1回増やしてみたら何がどう変わるかな、という思いつきである。
映画だってある程度の本数を見始めたらどんどん観たい映画が増えてくる。観る目もついてくる(と自分では思っているw)。いや、そんな直接的なところではなくて、なんか全然違うところで副産物があるかもしれない。
それが何なのか分からない。分からないからやってみようかなという気になった。価値判断を離れて、逆に量的なアプローチだけを変えてみるのも一興かな、と思いついた。何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
変わらなければ変わらないで別に構わない。ちなみにこれから家で少し読んでみる。
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