« March 2018 | Main | May 2018 »

Sunday, April 29, 2018

映画『いぬやしき』

【4月29日 記】 映画『いぬやしき』を観てきた。原作は奥浩哉の漫画、監督は佐藤信介。

この映画、予告編が結構壮絶すぎて、却って「実際観てみたら予告編が全てだった、みたいな映画じゃないの?」などと言われたりしていたが、観てみたらいやはやめちゃくちゃ面白かった。

2人の男が夜中の公園で謎の光に襲われて、気がついたら機械仕掛けの身体になっていた、という話。

ひとりは高校生・獅子神(佐藤健)。クラスではあまり目立たない存在だが、(佐藤健が演じているからそうなったのかもしれないが)カッコよくて、密かに思いを寄せるクラスメイト(二階堂ふみ)がいたりもする。

もうひとりは会社では仕事ができず、家でも家族に疎まれ、それでもなんとか日当たりの良くない土地とは言え一戸建てを買ったと思ったら、ガンで余命幾許もないとの宣告を受けたサラリーマン・犬屋敷(木梨憲武)。

獅子神は自分の身体の異変に気づいた瞬間からその能力を使いこなして鳥を撃ち、無人の車を動かして衝突させ、友人の安堂(本郷奏多)を虐めていたクラスメイトを懲らしめるなど派手に動き出す。

一方、犬屋敷のほうはまず何があったか信じられず、勝手に変形する自分の肉体を制御できず、やっぱり普段と同じようにおどおどするだけの毎日である。

その2人が、一方は気に入らない人間を片っ端から殺すという悪行に走り、他方は自分に瀕死の人間を治癒する力があることに気づいて人助けを始めるという対照が面白い。

Continue reading "映画『いぬやしき』"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, April 28, 2018

さとみの変貌

【4月28日 記】 2007年4月に、当時やっていた自分のホームページに『さとみ』という文章を書きました。石原さとみではありません。形容詞や形容動詞につく接尾語「さ」と「み」の比較について書いたものです。

まずは、やや長くなりますが、この文章に少し手を入れてここに再掲したいと思います。

********** 以下再掲

さとみ

私が加入しているメーリングリストにこんな投稿がありました。

「厚い」→「厚さ/厚み」っていうふうに、形容詞から「さ」と「み」の2種類の名詞ができるんだけれど、「速い」→「速さ/速み」とはならない。

  • できるのは「甘い」「苦い」「暖かい」「高い」?
  • できないのは「薄い」「低い」

何故できるものとできないものがあるのでしょうか?

それに対して私は以下の趣旨でコメントしました。私が投稿する前に「み」=「味」なんだろうかという疑問が出されたり、さらに「『高み』なんて言葉あるか?」という指摘もあったりしたので、その辺も踏まえたコメントになっています。


「み」は形容詞・形容動詞の語幹に付きます。

「味」は多分当て字でしょう。ただし、辞書によると「甘味」「苦味」「人間味」などは味や趣きを表す言葉なので、この場合は「味」を使うのが正解なのだそうです。そういう意味では「+み」と「+味」は分けて考える必要があるのかもしれません。

じゃあ「新鮮み」とか「真剣み」とか「面白み」などの場合は「み」なのか「味」なのか、この辺りは大変判別がつきにくいですね。私にもよく判りません。

その他にも、まず区別しなければならないのは、「厚み」の「み」と「高み」の「み」は違うということ。後者は「…な所」という意味です。

「弱み」は弱いところ=弱点、「高み」であれば高いところ、「深み(にはまる)」であれば深いところという意味で(ただし、「深みがある」という表現の場合は別。これは後述)、これを「さ」と比較するのは無理があるので、一旦ここでは除外します。

あと古語では「~を…み」で「~が…なので」という意味を表す用法があります。崇徳院の有名な歌に「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(川の瀬の流れが早いので…)というのがありますが、もちろんこれは別の用法ですので、これもここでは除外します。

さて、その上で両者を比較すると、「+さ」があくまで客観的な判断基準であるのに対して、「+み」は非常に主観的な表現であると言えます。

  • 「+さ」=客観的
  • 「+み」=主観的

「親しさ」と「親しみ」を比べてみればよく解ると思います。

だから主観的・感情的な要素が入る余地が大きい形容詞・形容動詞には「+み」が成立しやすいとも言えます。

速さには大体基準があって、自動車なら時速 20km は速くないですし、人間が 100m を 10秒台で走ると速いと思うはずです。それに対して、どれくらいなら厚いと感じるかは、それが何であったとしても、場合によって人によってかなり感じ方が違って、それほどはっきりとは定まらないのではないでしょうか。

そういうわけで「速み」は成立しにくいが「厚み」は成立しやすいと言えます。

あるいは、「親しさ」は「どのくらい親しいかの程度」、「親しみ」は「親しく思う気持ち」と言い換えたらもっと解りやすいのかもしれません。

  • 「+さ」=程度、説明
  • 「+み」=気持ち、思い入れ

ただし、「親しみ」の場合は形容詞「親しい」の語幹+「み」ではなくて動詞「親しむ」の連用形が転じて名詞になったものという解釈も成り立ちます。ちょうど動詞「悲しむ」から名詞「悲しみ」ができるようなものですね。

いや、逆に「悲しみ」は「悲しい」の語幹+「み」であるという解釈も成り立つのであって、正直言って私のような素人には判別がつきません。専門の学者はどういう解釈をしているのか訊いてみたいものです。

話は戻りますが、主観的・感情的というところから転じて「+み」は抽象的な、計測不能なものに対しても使えます。

  • 「+さ」=具体的、計測可能
  • 「+み」=抽象的、計測不能

「暖かさ」と「暖かみ」を比べてみてください。

暖かさは摂氏何度という形で測ることができますが暖かみを測る尺度はありません。「深みがある」というのもこの類です。

大体以上が私の解釈ですが、そもそも穴だらけの説明ですし、いずれにしても言葉というものは必ずしもルールに従わないもので、しかもそのルールは時代とともに変化して行きます。

でも、そこが言葉の面白さだと思います。言葉がそういうものであってこそ、面白みがあるというものです。

上で述べたような牽強付会な説明を試みるより、大雑把に感覚的に把握しておくのが良いのではないかと思います。

ところで「茂み」の「み」って何でしょう? 元が形容詞でもなければ、マ行五段活用の動詞でもないですもんね。「茂り」→「茂み」なんでしょうか?
これは私にも全く解りません。


【追記】ある人が「茂み」についてネット上に書いているのを見つけました。

その人は「み」を場所を表す接尾語と捉え、「深み」も「弱み」も「茂み」も全部一緒に「…な所」という説明をしていました。うーん、どうでしょう?

上にも書きましたが、「深い」「弱い」が形容詞であるのに対して、「茂る」は動詞です。ひとまとめにするには少し無理があるように思います。

他に動詞の例があるかな?と考えたら、すぐに「窪み」を思い出すのですが、これはマ行五段活用の動詞「窪む」の連用形を名詞に転用したものであり、非常に一般的な用法です。ところが「茂る」が「茂り」ではなく「茂み」になるところが不思議だと思うのです。

ただ、いずれにしても、意味は「(草木が)茂った所」です。「深み」=「深い所」と同じような意味の構造です。成り立ちが違うのに同じような意味の構造であるところがなんだか気持ちが悪いのですが(笑)

********** 以上再掲

さて、気がついたら主にネット上に若者言葉として新しい使い方の「さ」と「み」が出てきていました。例えば「分かりみ」。

Continue reading "さとみの変貌"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, April 27, 2018

『蚤とり侍』マスコミ試写会

【4月27日 記】  映画『蚤とり侍』のマスコミ試写会に行ってきた。鶴橋康夫監督。この監督にはこういう題材の時代劇というのが却々的を射ていたような気がする。僕が苦手とする監督だが、台詞回しも良く、今回は珍しく面白かった。

十代将軍家治の治世。悪名高い老中・田沼意次(この役を桂文枝が演じているのが、なんか時宜を得た感がありおかしい。しかも、ギャグなしの大真面目な演技である)が牛耳っていた時代である。

越後長岡藩の勘定方・小林寛之進(阿部寛)はひょんなことから藩主・牧野備前守忠精(松重豊)の逆鱗に触れ、「明日から猫の蚤取りになって暮らせ!」と藩邸から放逐される。

猫の蚤取りという職業は江戸時代に本当にあったようだが、ここで描かれているのは原作小説の著者による創作で、表の仕事は猫の蚤取り/裏の仕事は女性に身体を売る、ということになっている。

Continue reading "『蚤とり侍』マスコミ試写会"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, April 26, 2018

進歩の担い手

【4月25日 記】 今夜出席した某セミナーで僕が一番感銘を受けたのは、登壇者の日大藝術学部・木村学部長が紹介した英国の劇作家ジョージ・バーナード・ショーの言葉。

格言・名言として世界的に有名なフレーズらしいのですが、僕は初めて聞きました。

理性的な人間は自分自身を世界に適応させる。非理性的な人間は世界を自分自身に適応させようと固執する。それゆえに、すべての進歩は非理性的な人間のおかげである。

原文では、

The reasonable man adapts himself to the world; the unreasonable one persists in trying to adapt the world to himself. Therefore all progress depends on the unreasonable man.

Continue reading "進歩の担い手"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, April 23, 2018

復掲『痔瘻物語』

【4月23日 記】 1月一杯で閉めたホームページに掲載していた文章をいくつかこのブログに再掲しているのだが、ひさしぶりにまた一遍上げた。

山川詠輔名義で書いた体験談『痔瘻物語』である。

Continue reading "復掲『痔瘻物語』"

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Sunday, April 22, 2018

スチュワーデス

【4月22日 記】 出張で飛行機に乗ると時々思っていたことなのだが、スチュワーデスという言葉はどうしてなくなったのだろう?

それで、一昨日出張から帰ってから調べてみたら、アメリカの所謂 Political Correctness の流れで性差のない語である Flight Attendant に改められたと言う。

でも、Flight Attendant(日本では Cabin Attendant、「CAさん」)って割合つまらない表現ではないか。翻訳すると「機内接客係」「客室介添人」? まあ、もうちょっと日本語らしく意訳すると「添乗員」「客室乗務員」というフツーっぽい表現になる。

子供のころ、女性はスチュワーデス、男性はスチュワードと教わって、ふーん、面白いなあと思っていたのが、中学に入って英語を習い始めて、なるほど God と Goddess の関係と同じか!と大いに感心した覚えがある。

何よりも、スチュワード、スチュワーデスというのは飛行機でしか使わない表現であることが飛行機に乗ることの非日常的な感覚を高めていたように思う。

そう、そもそも飛行機に乗ること自体が、あの時代は非日常的な体験だった。

Continue reading "スチュワーデス"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, April 21, 2018

『ラ・ラ・ランド』

【4月21日 記】 かなり遅まきながら、WOWOWで録画しておいた『ラ・ラ・ランド』を観た。

公開直後ならともかく、これだけヒットして賞も獲って評価の定まった作品を、今さら僕がとやかく書いても仕方がないような気がするので、全体像ではなく部分的に思ったことを書く(笑)

まず、直接この作品と関係ない話から入る。

近年、舞台公演を撮影してそのまま映画館で上映するイベントがあるが、僕はこの手のものは観ない。舞台というのは観客が自分の目で、自分の視点で自由に芝居を見るものである。それをカメラで切り取られるのは、とりもなおさず観客の自由度が制限されることを意味しており、それはつまらないと思うからだ。

大体において僕は台詞を言っていない側の俳優のリアクションを追っていたりする(いや、芝居だけではなく、映画なんかでも台詞を言っていないときの出演者がどんな表情をしているかを見つめていることがある)。

そういうところが鑑賞の面白さなんだから、それを自分たちのカメラで独善的に切り取ろうとするのは無粋だと思うのだ。

ミュージカルというものはそもそも舞台芸術であり、舞台いっぱいに繰り広げられるパフォーマンスは、全体が綺麗に構成されているがゆえに(つまり、端のほうの出演者もちゃんと歌ったり踊ったりしているわけで)、見るべきところはたくさんあり、だから、自分の目で選んで観たいのである。

そういう意味で言うと、この映画の場合(というか、こういう類の映画は往々にして)そのせっかくの全体表現であるミュージカルの一部分を切り取ってしまうことになるのだ。

Continue reading "『ラ・ラ・ランド』"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, April 20, 2018

名前をつけることが人を動かす

【4月20日 記】 このところセクハラ財務次官のニュースで持ちきりである。

で、この事件と報道をきっかけに、「実は私もそうだった」という現役のあるいは元記者の女性たちの証言たちも出てきた。そして、その一方で、放送局のほうも「スケベ親父には女性記者をあてがっておいたほうが情報が取れる」と思っていたに違いなく、そこからしてセクハラであるという批判も出てきた。

そんなあれやこれやを見ていて、ふと思ったことがある。

セクハラというのは別に昨日今日始まったことではない。大昔からあったはずだ。というか、大昔からあって、でもそれは男なら許されて女なら辛抱するしかない当たり前のことであり、別段問題にもならないことであったはずだ。

それが問題になるようになったのはもちろん時代が移り社会が変わったからだという言い方もできるのだが、僕は誰かがこれにセクハラというネーミングを与えたことが非常に大きかったのではないかと思うのである。

名前があるから人は初めてそれをひとつのまとまった概念と捉えて観察したり分析したり批判したり改善したりできるのではないだろうか。

Continue reading "名前をつけることが人を動かす"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, April 17, 2018

自分の映画評を考える

【4月17日 記】 ああ、あの映画はひどかったなあ、と不意に思い出して昔書いた映画評を繰ってみると、それほど貶していなくて意外に思うことがたまにある。

ま、それもそのはずで、一応僕はどんな映画でも無下に貶さないことを心がけている。これはどうも今イチだな、とか、いやあ、これはさすがにひどいなあ、などと思っても、一生懸命褒められるところを探して書いている。

自分でそんなことを心がけていながら、自分の過去記事にボロカスな表現を求めるなんていかにも矛盾している。

しかし、こういう可能性もある: 観た直後はそれほどでもなかったのに、ときが経つにつれて悪印象が募ってきたのだ、と。

確かにそういう作品もあったと思う。でも、「この映画は観ている最中から沸々と嫌悪感がわき上がってきて、見終わった時の幻滅感もはっきり憶えているぞ」という映画であってもやっぱりあまり貶していないので、まあ、必死で抑えたケースもあるということだ。

Continue reading "自分の映画評を考える"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, April 15, 2018

映画『娼年』

【4月15日 記】 映画『娼年』を観てきた。

『ボーイズ・オン・ザ・ラン』『何者』──この2本を挙げただけで三浦大輔が如何に力量のある映画監督かが分かる。だが、この人が性をメインのテーマにしたときはひどい。

「ひどい」と書いて誰かの怒りを買うのであれば、「僕とは到底合わない」と書き換えようか。何であれ『愛の渦』を観て心底げっそりした。人間の生におけるセックスの位置づけ、性の倫理観が決定的に僕とは相容れない。

だからこの映画も見ないでおこうかと思ったのだが観てしまった。やっぱり「ひどい」と言いたくなる。何というか、違うんだな。うん、違うとしか言いようがない。

最初に書いておくとこの映画には石田衣良の原作小説があり、映画と同じ三浦大輔演出、松坂桃李主演で舞台化もされて大ヒットしたのだそうだ。僕は原作も読んでいないし舞台も観ていないので、原作がひどいのか脚本がひどいのか、それとも映画の演出がひどいのかは分からない。

ああ、ゴメンナサイ。ひどいんじゃなくて僕と合わないという表現にしよう(笑)

Continue reading "映画『娼年』"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, April 14, 2018

bit.ly 再設定

【4月14日 記】 Google が URL短縮サービス goo.gl をやめると発表したので(ま、まだ最終的な終了まで時間はあるのだが)、また bit.ly に戻すことにした。昔使っていたサービスでずっと Chrome に拡張機能として入れていたやつだ。

ところが、いざ使おうとすると、拡張機能の設定までは何の問題もなくできたが、twitter のアカウントに連携して、さてつぶやこうとするとこれがシェアしてくれない。

まず会社の PC でやってみて失敗し、しばらく放っておいたのだが、今日ふと思い立って家の PC で試してみたらやっぱり失敗する。どこが悪いのか分からない。Chrome、bit.ly、twitter のそれぞれの設定をいろいろ触ってみたがダメである。

Continue reading "bit.ly 再設定"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, April 11, 2018

『十代に共感する奴はみんな嘘つき』最果タヒ(書評)

【4月10日 記】 僕は映画『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を観るまで最果タヒの存在を知らなかった。痺れるようなタイトルである。映画そのものが一遍の詩のような世界だったので、その原作者に(しかも、その原作が詩であったのでなおさら)興味を覚えた。

タヒってなんて変な名前だ、と思った。本人が何を思ってそんな名前をつけたのか知らないが、僕が連想したのは「死」という漢字だ。そこから「一」を取り除くと「タヒ」になる。最果ての地での死から一を減じた詩人。僕は何かを読まずにいられなくなった。

Kindle 版が出ている作品で選んだらこれだった。で、読み始めて初めてこれが詩ではなく小説だということに気づいた。ああ、小説も書く人だったんだ。

読み始めてすぐに思ったのは、この作家、デビュー時の綿矢りさよりも言葉が切れるな、ということ。

一人称で語られる主人公・唐坂カズハは女子高生。感覚が鋭敏で、思いばかりがつんのめって、言葉が脳内に溢れ返って、必死で背伸びする老成した甘ちゃんで、制御できない思いを抱えていて、でもそれほど必死にもなれない、矛盾だらけの存在。

その彼女が語る言葉は、大人の読者の目には女子高生の幼稚な思考に見える。自分にもこんな面はあったと自覚しながら、ちょっと嫌な感じにもなる。

全てが否定から始まる──何にでもそんなに目くじらを立てていると、それはあまりに窮屈ではないか、と思いながら読み進む。

Continue reading "『十代に共感する奴はみんな嘘つき』最果タヒ(書評)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, April 10, 2018

読書を巡るあれこれ

【4月10日 記】 近年、本を読む量がめっきり減った。読書のスピードが落ちたのではない。読む時間が減ったから読む量が減ったという当たり前の現象である。

僕はもう何年も通勤電車の中でしか本を読まない(本と言っても基本は Kindle なのだが)。それも帰りの電車だけである。行きは新聞を読んでいる(新聞と言っても電子版なのだが)。

で、今の家に変わってから電車に乗っている時間が短くなった。読める時間は1日約20分である。

とは言え、今までに住んでいた家と比べて激減したわけではないし、今の家に変わってから一気に読む量が減ったわけでもない。読もうと思えば他で読む時間を作れないわけでもないわけだし。

でも、他人事みたいに言うと、要するに読むがなくなったのだな、とも思う。でも、全く読まなくなったわけではなく、読むという行為は不断に続けているので、結局のところ読みたい本が減ったのかな、とも思う。

Continue reading "読書を巡るあれこれ"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, April 08, 2018

映画『クソ野郎と美しき世界』

【4月8日 記】 映画『クソ野郎と美しき世界』を観てきた。

“新しい地図”の稲垣吾郎、香取慎吾、草彅剛の3人が主演する4話のオムニバス。2週間限定全国公開という奇を衒った公開の仕方は、「2週間で終わっちゃうよ」とファンを煽るためとか、興行的に失敗しても「2週間だから仕方がない」と言い訳できるからとか、いろんなことを言われている。

映画館にはやや年齢が高めの元ジャニヲタ(この「元」は「ヲタ」ではなく「ジャニ」に掛かる)女性が過半。でも、僕みたいに監督目当てで来ている人もいたのではないだろうか。

オープニングの(CMでもよく観た)、激しく複雑なリズムをバックに歩く人の背中を次々と映し出す、とても素敵な映像。この部分は誰が撮ったんだろう。

Continue reading "映画『クソ野郎と美しき世界』"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, April 07, 2018

iTunes が iPad を認識してくれない & iTunes がインストールできない

【4月7日 記】 久しぶりに PC に深刻なトラブルが発生した。iTunes である。

ここんとこなんかアップデートしようとするとエラー・メッセージが出たりして様子がおかしかったのだが、「そうそう iPad Pro を買ったから一度 PC にもバックアップしとこ」と思って繋いだら、iTunes は iPad を全く認識してくれない。

念のため、iPhone を繋いでみたら、ありゃりゃ、こないだまで何の問題もなかったのに、これも全く認識してくれない。

コントロールパネルから iTunes の「修復」も試みたが全然効果なし。

そうなると再インストールするしかあるまい。iTunes をアンインストールして、ネットからインストーラをダウンロードして、いざインストールしようとすると、これがインストールできないとのエラー・メッセージ。

なんじゃ、そりゃ? というか、これまずいよね。だって、アンインストールした後だもの。

Continue reading "iTunes が iPad を認識してくれない & iTunes がインストールできない"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, April 05, 2018

名にし負はば

【4月5日 記】 妻が長命寺の桜餅を買ってきたのだが、その包の中にあった解説を読んでいてはたと気づいた。

そうか、言問橋、業平橋という名前を何度も聞きながら、僕の頭の中では今の今まで「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」という歌と、作者である「在原業平」という名前に結びついていなかったのだ。

これは古典文学の中でも僕が大好きな『伊勢物語』に出てくる歌で、もちろん歌も暗記しているし話の内容も憶えている。それでも「言問」が「いざ言問はむ」と結びつかなかった。痛恨の極みである。

Continue reading "名にし負はば"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, April 04, 2018

『ファンベース』佐藤尚之(書評)

【4月3日 記】 佐藤尚之さんには昔からいろんな分野でいろんな著書があるが、この辺に繋がるテーマで言うと『明日の広告』『明日のコミュニケーション』『明日のプランニング』の3冊だろう。

それらの本と比べると、ここでのさとなおさんはその3冊におけるような、“理論を構築して広告を体系化し、新しい時代のコミュニケーションを主導する旗手”というような(御本人は笑われるだろうが)スター的な印象が薄い。

あの3冊の本がそれほどインパクトが強かったということもあるが、ここには CM製作の現場の人というイメージもないし、SIPS のような目を瞠るような新理論もないし、未来を見据えるプロフェッショナルというようなカッコ良い感じがない。

なぜならこれがファンベースの本だからだ。

Continue reading "『ファンベース』佐藤尚之(書評)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, April 03, 2018

さかさまのキーボード

【4月3日 記】 iPad Pro を買った。昨日届いた。

新しい iPad が発売されたばかりというこのタイミングで、なんで発売から随分日が経った iPad Pro なのだ?という人もいるだろうが、性能的には iPad Pro のほうが遥かに上だ(値段も高いけれど)。

──というような理由で iPad Pro を選んだわけではない。間違って iPad Pro 用のスマート・キーボードを買ってしまったからだ。

もう何ヶ月も前なのだが、ネット上でキーボードに関する記事を読んでいたら、「キーボードは大きいほうが使い勝手が良いのだから 10.5インチの iPad Pro にも 12.9インチ用のスマート・キーボードを装着すべし」と書いてあって、僕はなるほどと膝を叩いたのである。

で、膝を叩いた勢いで発作的にスマート・キーボードを買ってしまったのである。いや、我が家の iPad Air にスマート・キーボードがつけられると勘違いしたのではない。我が家にあるのが iPad Pro だと一瞬勘違いしたのである。

Continue reading "さかさまのキーボード"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, April 01, 2018

映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』

【4月1日 記】 映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』を観てきた。リュック・ベッソン監督。僕は彼の映画を映画館で観るのは5本目で、割合好きな監督だ。

人間外生物の造形という点でいうと、E.T.、エイリアン、スターウォーズ、アバター、あと一連のギレルモ・デル・トロ監督作品などでもう想像力の限界に達した感があり、観客をギョッと(あるいはハッと)させるような宇宙人を考えるのは非常に難しいところに来ている。

いや、デザインするだけならいくらでもデザインできるのだが、それをスクリーンの中で動かすことを考えると、やっぱり似たような線に帰着してしまうのだ。

そういう意味では、この映画のクリーチャーも上に挙げた5つのパターンのどれかに似てしまっている。

でも、そこはさすがにリュック・ベッソン。可能な限り自由な発想でいろんな宇宙人を登場させている。

特に、人間のようでありながらプロポーションとか眼と眼の間の距離とかが微妙に異なるパール星人を見ていると、これ、作って動かすの面倒だっただろうなと思う。ことほどさように手抜きがない。と言うよりも、アイデアの横溢という感じ。

初っ端に宇宙ステーションの歴史みたいな連続シーンがあるのだが、最初は様々な国の様々な民族が移住してきたのに、途中から様々なタイプの宇宙人が渡来して人間に迎えられるようになるシーンが、もう面白くて仕方がない。

そして、何と言っても色彩である。宇宙空間や惑星の様子は他の映画で描かれたものに対してそれほど独自性を主張するものではない。でも、その極めて明るく鮮やかな配色は如何にもリュック・ベッソンという感じで、恐れ入ってしまうほどだ。

Continue reading "映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« March 2018 | Main | May 2018 »