主張するお尻
【3月15日 記】 2月の末からハワイ島に行ってきたのだが、滞在していたホテルのトイレがウォシュレットではなかったのがちょっと辛かった。
もちろん日本のトイレがほとんどウォシュレットになったわけではないので、日本にいても日常生活でウォシュレット以外のトイレに当たることもある。しかし、この30年以内に建ったビルや家ならかなりのトイレがウォシュレットになっているはずだ。
自分の身の周りで言っても、家も会社も完全にウォシュレット化されているので、たった5泊とは言え、そうでない環境は辛いと言えば辛いのである。
でも、考えてみたら TOTO がウォシュレットを発売してからまだ40年も経っていないのである(そもそもウォシュレットというのは TOTO の商品名であって、一般名詞としては温水洗浄便座と言うべきである)。
今の若い人は40年前の、ウォシュレットが1台も存在しなかった時代を想像できるだろうか? あるいはそういう環境に耐えられるだろうか? 5日どころではなく、1年365日ウォシュレットが使えないのである。
ウォシュレットは、僕ら以上の世代では、人生の途中で(僕の場合は大学時代に)現れてきた。あの時の TOTO のテレビCM の強烈な印象を僕はいまだに忘れることができない。
それは「お尻だって洗ってほしい」というヘッドコピーだった。
戸川純が出てきてこう言うのである。「手が汚れたら手を洗いますよね? お尻が汚れたらどうしますか?」 そう言って戸川純は手に墨をつけて真っ黒に汚し、それを紙で拭いて見せるのである。
もちろん紙で拭っても墨は落ちない。それどころか墨は薄く手全体に広がって、手が真っ黒になる。
僕らはあの CM を見て、「そうか! お尻はそういう状態になっていたのか!」と改めて愕然としたのである。そして思ったのである。「俺だってお尻を洗いたい」と。
締めのコメントで戸川純は「お尻だって洗ってほしい!」と言う。
それは戸川純(あるいは TOTO)が主語で、「戸川純(TOTO)としては手だけでなくお尻だって洗ってほしいと思う」という意味にも取れるが、お尻を主語にして「お尻としては手だけではなく自分たちのことも洗ってほしいと思っている」と、お尻が主張しているようにも取れる。
そういう意味で秀逸なコピーだったと思うのだが、そう考えると、ハワイ島のお尻はまだ主張をしないおとなしいお尻なのかもしれない。
でも、これは一度覚えてしまうともう抜けきれないように思う。他の習慣、たとえば酒や煙草やギャンブルの比ではない。いずれハワイ島のお尻も主張をし始めるだろう。
あ、この文章、「はてしないトイレ談義」シリーズに加えておきますね(笑)
Comments