映画『今夜、ロマンス劇場で』
【2月24日 記】 映画『今夜、ロマンス劇場で』を観てきた。
業界には綾瀬はるかが出演する映画は当たらないという伝説がある。多分誰かが面白がって言い始めたことで、どこまで正しいのかはいちいち確かめていない。ただ、確かに興行的に失敗した映画は何本か頭に思い浮かぶ。
もちろん「興行的に失敗した映画=出来の悪い映画」ではないし、失敗の原因をひとりの出演者に帰するのも間違いである。
ま、それは置いておいて、今回の映画はそのジンクスを破る作品だと言っている人がいるのだそうだ。僕がこれを小耳に挟んだのは公開前だったので、予言ということになるが、もしそれを言ったのが関係者だとすれば、それほどの会心作だったということなのだろう。
僕がこの映画を観て思い出したのは『ローマの休日』と『カイロの紫のバラ』だった。多分この2本を観ている人ならほとんどの人が思い出すのではないだろうか?
企画書には「『ローマの休日』+『カイロの紫のバラ』」と書いてあったとしても不思議ではない。
この映画はこっそりそれらをパクってきたのではない。過去の名作へのオマージュなのだ。他にも、『オズの魔法使い』や『ニュー・シネマ・パラダイス』や『また逢う日まで』があったり、主人公の姓がマキノであったり…。
パンフレットを読んで「ああ、そうか!」と気がついたことはまだまだある。恐らく僕が気づいていないもっともっといろんなものが込められていて、映画通をニヤリとさせているのだろう。
舞台は1960年の映画館「ロマンス劇場」。主人公の牧野健司(坂口健太郎)は「京映」の助監督。彼は館主の本多(柄本明)に頼み込んで閉館後に古いフィルムを見させてもらうのを楽しみにしている。
そこでフィルムを見つけた1939年公開の映画『お転婆姫と三獣士』のお姫様・美雪(綾瀬はるか)にぞっこんなのだ。。
ところが、ある日、スクリーンの中から美雪が現実世界に飛び出してくる。モノクロ映画だからひとりだけモノクロだ。そして、映画の中のキャラそのままの、高飛車なお転婆姫である。
健司が触れようとすると「気安く触るな」とそこら辺にあるもので殴り倒し、健司を「しもべ」と呼ぶ。そういう設定から始まるラブ・ロマンスである。
宣伝の文脈である程度明らかにされているのでこれは書いても良いと思うのだが、美雪はこちら側の人間に触れると消えてしまう。触れられないのだから必然的にプラトニック・ラブになる。
テーマに沿ってストーリーを運ぶ際に設定上の縛りを見事に活かしているわけで、これは巧いなと思った。
ともかくよく出来た話であり、良い話でなのある。張った伏線を次々と回収して、良いエンディングに持って行っている。なるほど、そういうことだったのか!と観客に言わせる展開も用意してある。
終盤は館内のあちこちからすすり泣きが聞こえて来たぐらいだ。この映画の大きなモチーフになっている、古いモノクロ映画と対比させた色彩も非常に綺麗だ。冒頭の撮影所の上からドローン・カメラで舐めて行くシーンのなんと美しいことか。
ただ、やっぱり古臭いタイプのラブ・ロマンスであることは否めない。最後はちゃんと盛り返してくるのだが、僕は途中ちょっと飽きてしまった。
僕の個人的な事情としては、僕は綾瀬はるかよりも、主人公に片思いする少女を演じた本田翼のほうがずっと好きだという問題もある。ああ、本田翼主演でこの映画を観てみたいな、などと考えたりする。そうすると、本田翼が演っているこの役は誰が良いだろう?、などと考えたりする。
結局、この映画を古いと感じてしまうということは、存外自分も感覚的には若いのかもしれないと思ったりもし、一方で、若い頃はあれだけ凛々しく格好良かった加藤剛が、なんか往年の加藤嘉みたいな老人俳優になってしまったな、と悲しくなったりもする。
なんであれ、いろんなことを考えさせてくれる映画は良い映画である。
しかし、映画館は、ガラガラとまでは言わないが、それほど入ってはいなかった。こういう映画にたくさん人が入れば良いのにな、と、これは素直にそう思った。
多分初めてのデートと思われるカップルを見かけたのだが、「うん、君、この映画のチョイスは大正解だよ」と褒めてあげたい気がした。
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