映画『がらくたヘリコプター』
【2月11日記】 渋谷ユーロスペースの「トーキョーノーザンライツフェスティバル2018 北欧映画の一週間」という特集で、映画『がらくたヘリコプター』を観てきた。
2015年のスウェーデンとカタールの合作。監督はヨーナス・セルベリ=アウグスツセーン。どういう人なのかは分からない。
冒頭、石畳の上に○にHのマーク。しかし、両サイドは草ぼうぼうだし、こんなところにヘリコプターが降りられるわけはない。と思っていたら、画面手前から奥にカモシカが駆け抜ける。いや、カモシカかどうかは分からない。羊蹄類の何かだ。1匹、そしてまた1匹。
上でヘリコプターのプロペラ音がして、風が地上の草木を激しく揺らす。でも、降りてきたのは──。なんだか分からないオープニングだ。
場面変わって、一年以上前に修理に出していた柱時計を返せとおばあちゃんが電話してきた。孫娘のエネサは時計屋に取りに行くがドイツからまだ部品が届いていないと言われる。鐘が鳴らないだけなので、もう修理はいいからと取り返して、兄弟のパキ、サスカとともに、おばあちゃんの許に車で届ける話。
と書けば何でもないようい思うかもしれないが、おばあちゃんの家は1000キロ以上離れたところにある。べらぼうな話である。
スウェーデンにも都会はあるはずだが、これは多分スウェーデンの田舎から田舎への1000キロの道のり。閑散とした道路と風景が妙に印象に残る。
簡単に言うとロードムービーということになる。しかし、その途中はありがちな出会いとかふれあいとかではない。現代の日本で暮らしていたら想像もできないような出来事に遭う。
そして、彼らに出会った人の多くが英語で話しかける。その都度彼らのうちのひとりが「スウェーデン語で大丈夫ですよ」と答える。
このあたりの設定は、我々日本人は解説を読まない限り解りにくいのだが、彼らはロマ族、つまり、昔で言うジプシーなのである。そう思って観ると、彼ら独特ののらくらした感じ、逆にお構いなしの強引さ、そして突飛な発想がおかしい。
モノクロである。そして、カメラがほとんど動かない。中盤のブルドーザが3人の車を引っ張るシーンでカメラは初めてパンする。それから後は、たまにカメラが首を振るが、ほとんどが固定のワンシーン・ワンカットだ。
会話のシーンでワンショットを切り返して話者のアップを押さえたりしない。ずっとカメラは引いている。あるいは車の先頭に乗っかって乗っている3人をいっぺんに捉える。たまにパンはするが、ズームイン/アウトはしない。カメラ自体が動くこともない。
そういう画作りをされると、観ている者の印象も大きく変わってくるのだということを身を以て知る。それが映画のテンポにもなっている。時間の経過はフェードアウト/インの黒味で表現する。トントンと時間は流れる。
ところが、窃盗グループが絵を盗んだ美術館のシーンと、おばあちゃんの夢のシーンでカメラは急にクレーンに乗って大きく移動し始める。この辺の転換も面白い。
ここまでお読みいただいて、なんで柱時計を届ける話に窃盗グループが出てくるのか訳わからないだろうが、そういう面白い設定が数多くある。世界一大きなモニュメント、父から貰ったプチプチ、スピード違反の摘発逃れ、クロスワードパズル…。
最後にいきなりカラーになったりするのかもと思ったがそれはなかった。淡々と映画は終わる。でも、何も起こらないようで、起承転結は見事についている。後口は良かった。
この映画のどこが面白いか、何故面白いかを説明しろと言われても到底上手くは話せない。が、逆にそれでこそ映画だという気もする。めったに見ない国の映画を観ると本当に印象が深いし、自分にとっての大きな刺激になる。
1週間で3回上映して終わりなので、映画館で観るのは難しいだろうが、もし DVD など他の形で観る機会があれば是非観てみてほしい。何とも言えない面白い映画だった。
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