エレベータの幸運
【12月3日特記】 以前にも書いたことがあることだけれど、エレベータの話。
ウチのマンションのエレベータの籠(これを籠と呼ぶのだということは最近知ったのだが)の中にはカメラが付いている。それは防犯上の観点から珍しいことでもないが、ウチの場合、各階にモニタがあって中の様子が映っているのである。
それを見て、「ああ、1階から誰か上がって来るぞ」とか「くそっ、こっちは急いでるのに、5階からまた誰か乗ってきた」などと考えながらエレベータを待つわけである。
さて、先日帰宅して1階のエレベータ・ホールに行くと、折悪しく誰かの乗った籠が上がり始めたばかりだった。そして、ある階でエレベータは止まって乗っていた人が降りたのだが、その人が降り際に1階のボタンを押すのが見えた。
1階で待っている僕にとってはこれはありがたいことではあるが、僕はそんなことは決してやらない。そういうことをやる人の気が知れない、というか、どういう料簡でそういうことをやるのか理解できないのである。
だって、次にエレベータを利用する人が何階から乗って何階に行くか予断を許さないではないか?
もちろん時間帯を考えれば、外から帰ってきて1階から上階に上がる人が多いのかもしれない。しかし、それは断定できないことだ。
ひょっとしたら10階の人が買い物を忘れてコンビニ行くために下りてくるかもしれない。7階の人がゴミ出しのために下りてくるかもしれない。特にゴミの日の前日であれば夜にゴミ出しをする人は大変多い。
あるいは、4階の管理組合の理事の人が理事会の議事録にハンコをもらいに同じく理事である9階の人を訪ねるかもしれない。
にも関わらず1階のボタンを押す人の頭の中が想像できないのである。
彼はあまり何も考えていないのだろうか? あるいは、この時間帯はやはり帰宅して上がってくる人が大半だろうから、1階に降ろしておいたほうが他の住民に利する確率が高いという推論に基づいているのだろうか?
しかし、もし後者だとしたら、それは多数派に属していない人間は不利益を被っても仕方がないという思想ではないか。僕はそれが気に入らない。
だから、僕は自分が籠を出る時に何もしない。ひょっとしたら僕の次に使うのは僕と同じ階の人かもしれない。そこまで考えて何もしない。
もちろん、急いでいる時に誰かのお節介のお陰で早くエレベータに乗れたりすると、僕だって心のなかでラッキー!と呟くこともある。ただ、それは単にラッキーだったという、ただそれだけのことだ。
生きている限りラッキーもあればアンラッキーもある。でも、できれば他人にそれを操作されたくないものだと僕は思っているし、他人に対しても余計なことはしたくないと思っている。
でも、誤解のないように言っておくと、だから籠を出る時に余計なことをするなと言っているのではない。そんな余計なことを言うつもりはない。ただ、籠を出る時に1階のボタンを押す人を見るたびに、世の中には自分には凡そ理解できないことをやる人がいるのだということを思い知るのである。
そんなことで世の中全体に思いを馳せる機会が得られるとすれば、それはそれで幸運なことなのかもしれないが。
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