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Sunday, October 08, 2017

映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』

【10月8日特記】 映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』を観てきた。廣木隆一監督。

東野圭吾は初めて読んだ時に気に入らなくて、その後ずっと読まなかったのだが、気を取り直してもう一度読んで、それ以降は読む気にならない作家だ。湊かなえも、僕にとっては東野圭吾と同じような作家だ。

で、この2人の共通点はよくドラマ化、映画化されること。そして、良い脚本家と演出家が手がけると、この2人の原作でもとても良い(つまり、語弊のない言い方をすれば、僕好みの)作品になることを僕は知っている。

今回は好きな廣木隆一監督ということもあって観に行った。

さて、観てみると思っていたのとは随分印象が違った。この作品、なんか「お涙頂戴」みたいなイメージで捉えられてそういう宣伝をされているのは非常に残念だ。

これはSF的な要素で「お涙頂戴」を飾るような単純な見世物ではなく、そもそもの構造がとても複雑な物語である。よくこれを2時間の映画にしたな、というのが最初の印象。

時空がひん曲がってくっついたような、話の仕掛け自体が大変面白かった。

そして、この映画には泣くところはない(少なくとも僕にとってはそうだった)。

施設で育った3人の少年、敦也(山田涼介)、翔太(村上虹郎)、幸平(寛一郎)の、乱暴にまとめてしまうと、成長物語なのであるが、そのことは見終わった時に初めて気づかされる。大変巧みな構成だった。

犯罪(それが何なのか映画の冒頭では語られない)を犯した3人が空き家に逃げ込んだら、そこは閉店した雑貨店で、そこの店主・浪矢雄治(西田敏行)は30年ほど前まで街の悩み相談のおじさんとして知られた存在だった。

そうすると、その3人の前で、店のシャッターの郵便受けから突然悩み相談の手紙が投げ込まれる。怖くなった3人はすぐに逃げ出したが、いくら走っても元来た道で、いつの間にかナミヤ雑貨店の前に戻っていた。

──というミステリアスな始まりである。当然のごとくその後、当時の悩み相談の事例が映画の中で語られる。最初の事例で、歌手を目指す魚屋の息子(林遣都)が出てくるのだが、これが歌が下手すぎで観ていて乗り切れない。

こういうのがこれからいくつか続くのか、とうんざりしていたら、それぞれのエピソードを繋ぐ糸があることが解って、俄然見るのが楽しくなる。変に昭和を懐かしんだり褒めそやしたりしていないところも良い。

セリ(門脇麦)が映子(山下リオ)の病室を訪ねるシーンでは、カメラはいつまでもカーテンの外にいるセリを遠目に捉えて、映子のいるベッドに寄って行かない。──こういうカットって廣木隆一独特だと思う。

最後の敦也が泣くシーンも、そういうシーンとしては涙が出るまでにすごく長い間があって、その間の表情の変化を固定カメラがずっと追っている。──こういうのもファンとしては、ああ、廣木隆一だなあと嬉しくなる。

たくさんの人が出てくるドラマである。それだけにそれぞれの人物に割ける時間は少なく、描き方は薄くなっても仕方のないところだが、斉藤ひろしの脚本はとても手際よく、テンポもあったと思う。

まあ、そんなにインパクトの強い作品ではなかったけれど、良い映画だったな、というのが正直な感想であった。特にあの終わり方は非常に良かった。

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