プロのネタ
【10月14日特記】 小中学校のころ、クラスに1人か2人はおもしろいことを言ったりやったりする人気者がいたものだ。
関西では特にひょうきん者(この表現自体は東京的で関西のお笑いにはそぐわない感じがするが)がスターになる傾向が強い。クラスの人気者がその後吉本興業に入って人気お笑い芸人になったなんてこともよくある。
でも、最近思うのは、クラスの人気者がクラスメイトに受けていたネタを、プロになってからもそのままやっていてはいけない時代が来たのではないかということ。
例えば、去年大きな騒ぎになった替え歌ネタ。
替え歌は笑いを取る上では手頃なツールだ。これを学校でやってどんなに大受してもそれが社会的な問題になることはないだろう。だが、プロの芸人がテレビで勝手にこれをやってしまうと、去年のように著作権者からクレームがつく惧れがある。
著作権者には同一性保持権があるのである。替え歌をやるのであれば事前に許諾を得る必要がある。
あるいは、身体の特徴を笑い者にするネタ。もうちょっとあからさまに例示するとハゲとかデブとかチビとかブスとかである。
クラス内でハゲのおっさんを笑いものにしてクラスメートを喜ばせる程度なら誰もそれほど目くじらを立てないかもしれないが、これを下手にテレビやネットでやると苦情が殺到したり炎上したりする可能性がある。
それはやっぱり差別なのである。ただ、自分の声で語るだけなら騒ぎになる可能性は小さい。それがメディアに乗ったときには言い訳ができなくなるのである。
また、所謂「毒舌」は、そこら辺でしゃべっている限りは、もちろんそれを嫌う人もいるが、それを快く思う人もいるかもしれない。だが、それが一旦メディアに乗ると笑って済まされない問題になったりするのだ。
いや、昔はもっと大らかで、テレビでやっても問題になったりすることはなかった。でも、あの頃とは人の意識が変わっている。今では「昔は大らかだった」という書き方でさえ問題になるかもしれない。
つまり今は、かつての小学校の人気者がプロのお笑い芸人になった途端に、同じネタでは勝負できない時代になった、と言うべきなのだろうと思う。
上でデブ、ハゲ、チビ、ブスなどと書いた。笑いものにするのは差別だと書いた。でも、実はよしもと新喜劇などはいまだにこれのオンパレードなのである。ただ、必ずしもこれは欠点をあげつらって嫌がる相手をいじめるという構図にはならない。
特に関西では自分の身体的特徴をネタにして笑いを取るという芸風が定着している(プロだけではなく小学生でさえそういう芸をする)。笑いが取れるのであれば自分が若ハゲであることはおいしいことだ、みたいな感じ方をする人も実際にいるのである。
確かによしもと新喜劇などでは芸人が自ら自分の身体的な特筆性を売り物にしようとしている。
目が大きいとか口が大きいとか、そのこと自体は珍しくもないし不都合もないのだが、それを無理やり笑いに持って行こうとする。横顔が電子ポットの形や新幹線の形に似ているなど、無理くりなギャグに仕立て上げてる。ブスだブスだと言われる女芸人もよく見ると実は結構可愛らしい顔をしていたりするのだ。
そういう構造があるから、あれは例外的に問題にならないのかもしれない。でも、それがいつまでも問題にならないのかどうか、僕にはあまり自信がない。
いずれにしても、メディアに乗った途端、気楽に笑っていられない、いや、気楽に笑わせてはいられない事態になる時代になったことを、これからの芸人さんはしっかりと弁えておく必要があるのではないか、などとふと考えた次第である。
お笑いの世界で、プロとアマとの違いは何か、という問いに対する答えが根本的に変わってきたような気がする今日この頃である。
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