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Saturday, October 28, 2017

映画『彼女がその名を知らない鳥たち』

【10月28日特記】 映画『彼女がその名を知らない鳥たち』を観てきた。予告編にも魅かれたのだが、白石和彌監督だと知って観ようと決めた。

原作は先日見た『ユリゴコロ』と同じく沼田まほかる。この人は今流行りの“イヤミス”のジャンルに収まる作家のようだが、この映画の後口は悪くない。脚本は浅野妙子だ。

建築会社で働いている佐野陣治(阿部サダヲ)は北原十和子(蒼井優)にぞっこん惚れている。でも、まだ陣治は十和子の“同居人”でしかない。ともかく見た目が汚らしく甲斐性もなく、下品で落ち着きがなくガサツ極まりない陣治のことを十和子は毛嫌いしている。

なのに一緒に暮らしているのは陣治の稼いできた金で遊んで暮らすためだ。そして、夜は陣治にマッサージさせる。催してくるとそのまま陣治をベッドに誘うが、陣治はただ手で弄ばせてもらえるだけで、入れさせてもらえない。

それでも陣治はどこまでも献身的で、一途に十和子のことを愛している。パンフレットには陣治のことを「共感度0%、不快度100%の登場人物」と書いてあったが、原作ではそうだったのだろうか?

僕が観る限り決してそんなことはなかった。十和子を想う純粋な気持ちは痛いほど伝わってきた。ただ、この中年特有の薄汚さ、学のなさそうな感じ、落ち着きのない性格、まとわりつく鬱陶しさなどを見ていると、そりゃあ大抵の女性には嫌われるだろうと納得はしてしまう。

十和子は一方でそんな陣治を毛嫌いしながら、他方では陣治に甘え放題で、仕事もせず、時々モンスター・クレイマーまがいの行動を繰り返しながら空疎な毎日を暮らしている。

そんな十和子にも不思議にイケメンは寄って来る。8年前までつきあっていた黒崎(竹野内豊)と、クレームをつけにいったデパートに勤める水島(松坂桃李)である。陣治はそんな十和子の危ない遊びに気づいている。そして、十和子や男たちを尾行したりしている。

で、一応ミステリだから、それなりの仕掛けがあるのだが、これは最後の最後にどんでん返しが!とか、驚愕の新事実が!とかいう展開ではなく、見ていたら少しずつ段々察しがついてくる。で、このまま終わるのかと思ったら、やっぱり最後に大きな展開がある(これはさすがに読めなかったw)。

でも、要するにこれは純愛物語なのである。今まで多くの凶悪犯の映画を撮ってきた白石監督だが、少なくとも今回あまり犯罪に寄りすぎず、むしろ陣治の無償の愛に焦点を当てた撮り方をしていると思う。だから後口が悪くない。

映画は8年前から今まで時系列に語るのではなく、何度も回想を挟みながら時を前後して描いて行く。その回想シーンの嵌め具合が絶妙だと思った。

僕は蒼井優という女優がそれほど好きではないのだが、彼女がどうなって行くのかにはすごく興味がある。『花とアリス』『フラガール』『百万円と苦虫女』の頃は強烈な個性を誇る主演女優だった。でも、どんなスター女優でもいつまでも主演ではいられない(吉永小百合を除いてw)

最近は『オーバーフェンス』のキャバクラ嬢、『アズミハルコは行方不明』の安曇晴子(これを主演と呼ぶ人もいるだろうが)、『東京喰種』のグール“リゼ”、『ミックス。』の中華料理店員など、面白い脇役が続いている。

そういう流れの中でこの主役を見ると、やっぱり彼女には圧倒的な存在感があると実感する。そして共演の阿部サダヲも今までの阿部サダヲではない。この汚らしく愛らしい役は彼の代表作になるのではないか。さらに、竹野内豊のサイテー男ぶりも見事で、この3人の誰が賞を獲っても不思議ではない。

タイトルに入っている“鳥”のあしらい方、電話の向こうに海岸があってそこで黒崎が立っていたり、水島がラブホでタクラマカン砂漠の話をしたら天井から砂が何箇所か降ってくるような幻想的なシーン、ラストの“マジック・アワー”のきれいなシーンなど、印象的な映像もふんだんにある。

ただひとつ不思議だったのが大阪弁。何故大阪弁にする必然性があったのだろう? 竹野内豊や松坂桃李など大阪弁でない役者も結構出てくるのだ。それは十和子が東京弁を話すスマートなイケメンが好きだという解釈もできるのだが、一番解らなかったのは野々山美鈴(赤澤ムック)の標準語。

彼女の役は何? 僕は十和子の姉と聞こえたのだが、姉妹で言葉が違うのはとても不自然。姉ではなく昔からの親友であるとしても同じ。さらに赤堀雅秋が扮する刑事が確か「三宮署」と名乗ったと思うのだが、ここは大阪なのか神戸なのか(ちなみにロケ地は両方にまたがっている)。

いろいろ不思議だなと思っていたのだが、パンフを読むと原作が大阪弁をしゃべる大阪人の物語なのだそうだ。だが、蒼井優も阿部サダヲも(ものすごく練習した跡は見えたが)ネイティブではないので、我々が聞くと時々違和感がある。

ならば、無理せずに大阪の設定にしなくても良かったのかな、と思うのだが、エンドロールを見たら在阪のテレビ局2社が出資している。結局そういうことか。ならば赤澤ムックにも無理して大阪弁を喋らせるべきではなかったのかな?

ま、それは枝葉末節で、全体としてはとても良い映画であったのに、観客があまりに少なくてちょっと可哀想な気がした。

このタイトル、すごく良いタイトル──見終わってそれを強く感じた。

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Comments

原作によれば、十和子は千葉兼生まれがいろいろあって関西に流れてきて、一生懸命関西弁を使おうとする。陣治はどことも分からない地方の「牛飼いの息子」という設定で、ふたりとも関西弁が確かでないという設定。黒崎は女の気をひくために標準語を使う関西人、水崎も出身は不明だが標準語を使う、とすると、姉の標準語も腑に落ちるというもの。原作では、姉が何度も「関西弁をやめて」と十和子に言っています。

Posted by: hikomal | Friday, November 03, 2017 08:24

> hikomal さん

なるほど、そういうことですか。──と一旦納得した上で、しかし、いくら原作がそうでも映画の中でそれが全く描かれていないと、やっぱり気になりますね。姉の「関西弁をやめて」との台詞をひとつぐらい残しておくべきだったのかもしれませんね。

Posted by: yama_eigh | Saturday, November 04, 2017 21:20

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