映画『三度目の殺人』
【9月15日特記】 映画『三度目の殺人』を観てきた。なんだろう、このモヤッとした感じは?
是枝裕和監督は随分と流行に逆らった映画を撮ったものだ。今は「ああ、やっぱりこの人は嘘をついていたのか」「ああ、結局こいつは悪い奴だったんだ」と、最後にスパッと割り切れる作品こそが受けが良いのに。
今どきこんな解りにくい映画が受けるのかなと心配になるくらいなのだが、もちろん監督は意識してそこを狙って撮っている。
この映画の見方としては2つの大きな筋があると思う。
ひとつは証言を二転三転する殺人犯・三隅(役所広司)に翻弄され、自分でも気がつかないうちにものの感じ方・考え方が変わって行く国選弁護人・重盛(福山雅治)の姿を追う見方。
それから、三隅は凶悪犯なのか無実なのか、そして裁判の結果は有罪なのか無罪なのか、そういうことを追っかけて見ているうちに、ああ答えはないんだなと気がつく、という見方。
僕の意識は後者に向いた。変わって行く重盛の面白さよりも、何が真実だか分からない面白さに魅かれた。答えはないのであって映画を見終わってから自分で探すしかないのである。
事実、何度も前言を翻した三隅が最後に無罪を主張したのが真実だったのかどうか、被害者の娘で実は三隅との交流があった咲江(広瀬すず)が勇気を持って告白したことは嘘ではないのか、どれもちゃんと描き切らずに終わっている。
それは是枝監督が「皆さんがそれぞれ自由に解釈できる映画を作りましたよ」と言っているのではなく、むしろ、「そんなこと俺だって知らねえよ」と言っているように見える。
それを、「とかく黒と白で塗り分けてしまおうとする社会に対して警鐘を鳴らしている」などと言うと途端につまらなくなる。そういう映画でもないのだ。
ま、フツーの刑事モノみたいに真犯人が判明してめでたしめでたしみたいな感じで終わるとは思っていなかったが、そうか、それにしてもこんなモヤッとした形で終わるのか、と気づいた時に「もうちょっと終わらないでくれ」「まだエンドロールは出さないでくれ」と強く思った。
やや狙いすぎた脚本という印象もないではなかったのだが、それでも観客にそんなことを思わせるのがこの映画の力なんだろうな。
舞台は刑務所の接見室と、重盛の法律事務所と裁判所がほとんどで、画としては極めて動きの乏しいものなのだが、接見室の中央を隔てるアクリルガラスを巧く使って実像と鏡像を重ねたり、まるでガラスで隔たれていないように真横からの2ショットを押さえたり、かと思えば画面からはみ出すほどのクロースアップのカットバックで2人の会話を見せたり、非常に工夫に富んでいる。
そして、やっぱり役者が非常に良い。役所広司はこの怪物めいた人物を怪物めいた演技力で表現していた。広瀬すずには「また伸びたな、この娘」と思った。
重盛と共同で弁護人を務めている摂津を演じた吉田鋼太郎は珍しく大声を張り上げないで存在感のある演技をしていたし、新人弁護士役の満島真之介も重盛や摂津との対照という意味でよく機能していた。
検事役の市川実日子と、弁護士事務所の事務員の松岡依都美もとても印象に残った。松岡の役などは筋運びの上では必要はないのだが、一種のコメディ・リリーフになっていたのが良い。
そして、被害者の妻を演じた斉藤由貴がなんと怖いことか!
是枝監督の見事な脚本によってとても面白い、とても考えさせる、良い映画だったと思う。ただ、見終わってこんなにすっきりしない映画もないとも言える(笑)
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