『下り坂をそろそろと下る』平田オリザ(書評)
【7月14日特記】 買ったまま長い間放っておいた(と言うか、却々読む順番が回って来なかった)本である。この人の本を読むのは初めてだ。彼が作・演出した芝居も見たことがない。ただ、マスメディアにはよく登場する人だ。
僕の想像としてはかなり理屈っぽい脚本を書く人なのではないかな、という感じだった。「演劇界の論客」というイメージを持ってもおかしくないのだが、どうも「理屈っぽい劇作家」という歪んだ見方をしていた。
そして、政府のいろんな委員などを務めていたりしたので、きっと政府寄りの人なのだろうと思っていた。
ところが、実際に読んでみると、ここには安倍晋三が不機嫌になって喚き散らしそうなことが結構書いてあるではないか。
素晴らしいのは、政府の委員をやっている人が総理大臣の批判をしていることではなく、そういう視点を持っている人が自ら政府や役人の中に入り込んで、きっちり改革を行おうとしているところなのだ。
最後の章で著者がまとめているが、彼が指摘しているのは下記の3点である。
- もはや日本は、工業立国ではない
- もはや日本は、成長社会ではない
- もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない
彼は決して、汗水たらしてしゃにむに高度成長期を突っ走った人たちを咎めているのではない。
前向きに働いている人たちにはちゃんと敬意を示しながら、しかし、もうどこかでそこから転換しなければならない時代が来ているということ、そして、その萌芽は最近できたものではなく、近代日本の始まりとともに宿命的に存在していたのだということを書いている。
一番になろうと必死でもがいてきた自分を誇りに思い、一番でなければプライドが許さない人たちにとっては、とても腹立たしい指摘であり、提案であるのかもしれない。
確かに、この最後のまとめの見出しだけを読むとそう思うかもしれない。ただ、この本を手にとって最初から丹念に読んで行けば、そして著者が日本の各地で取り組んできた教育に関する事例をある程度共有できれば、坂道はいつの間にか下り坂になっていることに気づくはずである。
著者はそこを転がり落ちろと呪っているのではない。下り坂の歩き方は結構難しいですよ、と教えてくれているのである。例えば以下のように論を展開しながら:
若者人口が減ったからスキー人口が減ったのではない。スキー人口が減ったから人口減少が起こったのだ。
分かり合うことを前提にした「会話」型のコミュニケーションから、分かり合えないことを前提にした「対話」型のコミュニケーションに、日本人のコミュニケーションに対する考え方自体を少しずつでも変えていかなければならない。
これまでの「まちづくり」「まちおこし」に決定的に欠けていたのは、この自己肯定感ではなかったか。
もはや、学校の、少なくとも大学以上の高等教育機関の存在価値は、新しい知識や情報を得る場所としてではなく、友に学び、議論し、共同作業を行うという点だけになった。
この十数年、日本の教育界では「問題解決能力」ということが言われてきた。しかし、本当に重要なのは、この点、「問題発見能力」なのではあるまいか。
合わせ鏡のような存在の日韓両国は、だから、この下り坂をお互いに認めて、その寂しさを共有することも可能だと、私は希望も抱いている。
この猜疑心にあふれる社会を、寛容と信頼によって再び編み替えない限り日本の未来はない。
読み進むほどに彼のロジックの冴えが分かると思う。僕は読み終わって、もうそろそろと歩き始めている。
Comments