『凹凸』紗倉まな(書評)
【6月14日特記】 なんでこの本を読むことにしたのかはっきりした記憶がない。多分書評を読んで魅かれたのだろうと思う。
もっと破滅型の主人公が出てきてとことん堕落する話かと思ったのだがそうではない。
いや、そもそも最初のほうは誰が主人公なのかよくわからない。焦点の当たる対象は次々に変わるし、話者も変わってくる。要するに栞と栞の母親と、離婚した父親、父親の新しい女、24歳の栞と同棲する16歳年上の男をめぐる家族の話である。いや、女2代の性の年代記と言っても良いのかもしれない。
でも栞はいつもセックスに明け暮れているわけでもない。栞の部屋はいつもいつも汚いわけではない。家事がしっかりとできている日もある。カラーコンタクトを嵌めているときもあれば、たまにそれを外して抜け殻のような暗い目をしているときもある。
話者は次々と変わり、最後のほうになると小説は栞の父親の視点で語られる。そして、その語り手が<君>と書くのは栞のことではなく、栞の男のことである。
このこんがらがった書きっぷりはそう簡単に思いつけるものではないし、そこがこの小説が形式上では一番独創的なところだ。
だが、その形式だけで終わる小説ではない。冷たく静かに人のなりわいを描いて行く観察力と筆力はかなり確かであり、他の作家にはない世界観が漂っている。
「若いということはそういうことなのだろうかと僕は常日頃考えてみるけれど、テトリスのようにうまくはめ込まれている君たちの関係にはどうも理解が及ばない。お互いがお互いの通気口のようなものなのだろうか」
「侑子がやけに甘えた声でそう言い、呆然としている<君>の肩に頭をのせる。すると、ふわりと懐かしい、昔の女の匂いがした」
うまい表現も多い。かなり「書ける」作家である。
タイトルの「凹凸」はセックスを暗示しているが、実のところもっと精神的な、男女の相性みたいなものを語っているのかもしれない。
読み終わって幸せって何だろうとちょっと考えた。幸せってある意味での不幸の上にしか構築できないものなのかもしれないなどと。凸凹を乗り越えるのではなく、凸と凹をうまく噛み合わせて、人は暮らして行くのである。
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