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Saturday, May 20, 2017

映画『帝一の國』

【5月20日特記】 映画『帝一の國』を観てきた。

この映画については激賞と酷評の両方を読んだ。そういう映画を観に行く時はそわそわドキドキしてしまう。

「良い映画か悪い映画か、俺が見極めてやるぞ」というようなことではない。むしろ逆だ。僕がこの映画を褒める人間なのか貶す人間なのかを見極められてしまう──そういう感覚である。

どちらかが正しくてどちらかが誤った見方なのではない。ただ、道はいつも二股に分かれているのだ。

時代は昭和。名門・海帝高校1年の赤場帝一(菅田将暉)が生徒会長を目指す話だが、そう聞いて想像するようなほんわかした青春ドラマではない。

この名門校の生徒会長になることで将来への第一歩が刻まれ、そのレールに乗っかって行く行くは総理大臣になり、遂には「自分の国」を作るのだという固い意志で帝一は動いている。

逆に言うと、この高校で生徒会長になれなければ自分の未来はなく死んだも同じ、と、異常なくらい真剣に思いつめているのだ。帝一のライバルたちも似たり寄ったりの異常な執着ぶりである。

ただ、シリアスなドラマではない。コメディ、それもデフォルメ具合が半端ではないコメディになっている。

そう言う意味でこれは戯画である。原作も漫画らしいが、この映画もその正しい字義において戯画である。

菅田将暉も父親役の吉田鋼太郎もライバル役の間宮祥太朗も力入りすぎのウルトラ・ハイテンションの演技、と言うか、もはや演技と言うのも憚られるほどの大芝居を打っており、甚だ馬鹿馬鹿しい。

一体全体これで何を茶化し、何を揶揄し、何を訴えようとしているのか、観ている途中で少し考え始めたのだが、それも馬鹿馬鹿しくなってやめた(笑)

これはそんな風に笑って観るしか仕方のない映画なのだ。

僕は時々書いているのだが、CM制作畑出身の映画監督は、短い時間で魅せる瞬発力はあるが、2時間の作品を通して描き切る持続力に欠ける傾向があると思う。

いや、公平を期して逆の言い方も書いておこう。作品を通して描き切る持続力は弱いが、各シーン、各カットには抜群の切れ味を見せてくれる、と。

今回の永井聡監督のこの作品も、僕は途中までそんなことを考えながら観ていた。各パートのギャグは確かにおかしいし、長めのカットよりもめまぐるしく切って繋いだシーンのほうが如何にも永井監督らしい。

で、結論から言うと、この映画はこれでいいや、評論する気もあまり起こらないが、面白くないかと言われれば面白い。「マイムマイム事変」などいうのは脱力系の傑作エピソードではないか(笑)

と、そんなことを思っていたら、意外や意外、最後は妙に「ええ話」になって、フツーなら白々しくなるところが何だかウルウルきてしまった。

意外に良い映画じゃないか、そう思い直した瞬間に、しかし、さらにもうひとひねりあって、これには完全にやられた。

この「やられた」感は非常に爽やかだったなあ。いやあ、参った。

『ジャッジ』よりも『世界から猫が消えたなら』よりも遥かに印象が強い。少なくともこれは永井聡監督の現在までの最高傑作ではないかな。さて、どうやら僕はこの映画を褒める側に引き込まれたみたいだ。

ところで、みんながめちゃくちゃに大袈裟な芝居をしている中で、ひとりだけ自然な芝居をしていた竹内涼真が(いい役柄だったこともあって)逆に随分際立っていた。若手俳優がたくさん出ていたが、一番特をしたのは彼だったのかもしれない。

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