墓碑銘
【2月22日特記】 本を読んでいたら「墓碑銘」という単語に出くわして、ふと思った。
西洋は良いよなあ、自分の墓に墓碑銘が刻んであったりして。日本人が入るのは個人ではなく家族、あるいは先祖代々の墓だから、個人の銘文なんて刻んでおけないのだ、と。
しかし、待てよ、考えてみたらアメリカの映画やドラマで故人の墓参りをするシーンで墓碑銘が映ることが多いので勝手にみんなそうだと思っているが、本当にみんなそうなのか?西洋には 家族の墓ってないんだろうか?
それに、日本だって極端な話をすれば天皇陵は個人の墓だし、歴史上の人物で個人の墓が残っている人も多い。有名人、金満家なら今でも個人の墓に入れる人はいるのだ。そんなに墓碑銘がほしいのなら、頑張って個人の墓を建てれば良いだけのことだ。
──と思い直してみたのだが、考えてみれば僕は若い頃から西洋個人主義への憧れを抱いていたのは確かだが、さりとて別に個人の墓に入りたいわけでも墓碑銘を残したいわけでもない。ただ、個人個人で埋葬するという社会の在り方が良いなあと思っただけのことである。
僕自身は墓なんかなくて構わない。葬式だってしなくたって良い。むしろ死んだ後まで生き残った人に面倒をかけたくはないと思っている。
ただ、もしその時妻が生きていて、彼女がその後も生きて行くためのメンタル・ケアとして、葬式をしたいと言うならすれば良いし、墓を建てたいというのなら建てれば良い。あるいは、妻自身は希望しないが世間体があるのでやると言うならやれば良い。
どっちにしても、僕が死んだあとは生き残った人の世であり、僕が生前の影響力を行使したいとか意向を反映してほしいなどとは全く思っていない。
そんな風に考えているにも関わらず、でも、なんか個人の墓碑銘っていいな、と思った次第。墓はなくても墓碑銘はあっても良いかな。「常に道の端を歩き、叢に斃れて死す」とか(笑)
でも、生きている間に考えているからこそ面白いのであって、僕の墓碑銘は僕の死後に残っていなくて良いのだ。
自分が生きている間に自分が死んだあとの未来を語るのは素敵なことだが、僕が死んだ後に僕が生きた過去を語ってもらっても仕方がない。
そう言えば、King Crimson に Epitaph という曲があった。久しぶりに聴きたくなってきた。
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