入り口論
【11月8日特記】 人には広く浅く物事を知ろうとするタイプと狭く深く物事を極めようとするタイプの2種類があり、僕は後者であるとある人に評された。
少し前までは僕自身もそんな風に考えたりもしたのだが、最近それは少し違うのではないかと思い始めている。
広いことは浅いことを前提としないし、狭いことの必然が深いことでもない。浅く終わるか深くのめりこむかはその後の展開次第である。興味の対象の広い人でもいろんなことを深く知っている場合もあるし、特定のものにしか興味がないからと言って必ずしもそれに造詣が深いというものでもない。
「広く」と「浅く」をセットに、「狭く」と「深く」をセットに、あるいは「広く浅く」と「狭く深く」をセットに考えるのが間違いなのではないか?
最初にあるのは入口の部分だけである。
つまり、選り好みをしないことが知識を広げるための最良の策であると捉えてそこに価値を見出すか、選り好みをすることこそが自分らしさの最大の発露であると捉えてそこに価値を見出すか、そういう価値観、人生観の違いなのだと思う。
そういう分け方をすると、僕は間違いなく後者である。
たまにおせっかいな人がいて、「選り好みをしていると、良いものをたくさん見逃してしまうよ」などと言ってくれたりする。
僕はそれで良い、と言うか、人生ってそんなもんだろうと思っている。どのみち全ての良いものを見逃さずに済む方法はないのである。ならば、まず自分の好きなもの、自分が惹かれるものから手に取って行けば良いではないか。
そんな風に心がけていても、人生にはいろんなアクシデントがつきものだから、意に反して不意に自分には想像できなかった新たな良いものに出くわすことだってあるのである。そういうセレンディピティに任せておけば良いのである。
「狭く深く」などと言うと、「狭い代わりに俺は深いんだ」と偉ぶっているような感じになって、自分としてはあまり居心地の良いものではなかった。
そうではなくて、「はい、僕の入り口は狭いんです。それだけです」と笑って言えるのは楽しいなあと思う今日このごろである。
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