入れ墨、刺青、タトゥー、タブー
【10月30日特記】 最近、入れ墨についてちょくちょく考える。
日本には入れ墨を入れた人の入場を拒絶する施設がある。それは大体が暴力団を排除するためである。
昔はそれで良かったのである。なんとなれば、入れ墨=ヤクザだったから。あるいはこの場合、「入れ墨」ではなく「刺青」と書いたほうがしっくり来るかもしれない。
ヤクザのほうも刺青を誇示することによって自らがヤクザであること(あるいは、刺青を入れる痛さに耐える強い男であること)を世間に知らしめようとしていたし、逆にヤクザでない人間が体に彫り物を纏っていることは稀であったから。
そういうわけで、場内での恐喝や暴行などを防止するためには、それらの不法行為を専売特許とするヤクザの入場を排除することが肝要であり、そのための一番簡単な方法が「イレズミお断り」だったのである。
ところが最近はヤクザでない人でもイレズミをするケースが増えているから厄介だ。いや、イレズミと言うよりタトゥーと言うべきなのかもしれない。
そもそも入れ墨を入れるかどうかは個人の自由のはずで、それを理由に入場を断るなんてことがあっても良いのかと考えると微妙である。
そんなことはない、そもそも自分の体に傷をつけるなんて…などと反論する向きもあるかもしれないが、そういう発想で言えばピアスだって似たようなもののようにも思う。
元はと言えば、入れ墨=ヤクザという公式が成り立っていたから、人々はあまり深く考えることなく、ヤクザ排除のためにイレズミお断りを打ち出したのである。
ところが、最近は若い人を中心に、体のどこかにイレズミを入れている人が少し増えている。また、どんどん増えている来日観光客の中にもイレズミを入れている人は少なくない。
そういう罪のない外国人観光客が日本の銭湯などに入れないということをどう考えるかということもある。
先日テレビを見ていたら、街頭インタビューで「若い頃にやったことで後悔していることがありますか?」という問いに、見た目30歳前後の女性が言った答えに驚いた。
「体にお絵かきしたこと」
お絵かきとは入れ墨を指している。彼女曰く、「バカなことをしてしまったので、今は娘と一緒にプールに行くことさえできない」。
「何故入れたんですか?」という問いに対して、彼女は「若い頃、何をやってもうまくできなくて、イレズミを入れる痛さに耐えられたら何かが変わるような気がしたから」と答えた。
そういう気持ちの流れはよく分かる。僕も人生の多くのタイミングで、そんな根拠のない空想に縋って(あるいは、験を担いで、と言っても良いかもしれない)苦境を乗り越えようとしたことがある。
同じような発想をしながら何故僕が入れ墨を入れなかったかと言えば、彫り始めてすぐに痛さに耐えかねてやめてしまう自分の姿が容易に想像できたからだと思う。
インタビュアーはしつこく「どこにどんな柄のイレズミを入れているんですか?」と訊いた。彼女は言った。「あちこちに。背中はゾウさん」「ゾウさん?」「そう、ガネーシャ」
ガネーシャはヒンズー教の神様で、頭は象、体はぽってりした人間の形をしている。
「ガネーシャって学問の神様でしょ。私バカだから、ガネーシャのイレズミしたらちょっとは頭良くなるかなと思って」
なんだか泣ける話ではないか。昇り龍や唐獅子牡丹を見せびらかして誰かを威嚇しようとしたのではなく、異教の学問の神様を背負って少しでも頭が良くなればと思ったのである。
そういう話を聞いて、なおさら入れ墨についていろんなことを考えるようになった。単純なことではないので、未だ単純な答えは得られていない。
Comments