映画『永い言い訳』
【10月22日特記】 映画『永い言い訳』を観てきた。西川美和監督。
予告編である程度の内容を知っていたが、観ている途中の感想は、衣笠(本木雅弘)はもっともっと嫌な男かと思ったが、割といい奴じゃないか、というものだった。
主人公の衣笠幸夫(ユキオではなくサチオである。彼が広島東洋カープの鉄人・衣笠祥雄と同名であることがこの物語に必要だったから)は作家で、時々テレビのバラエティにも出ている。
テレビでは快活なトークを披露しているが、本当はもっとねじくれていて、自尊心が強く、自意識過剰で、しかも他人に対して狭量という結構嫌な奴である。
冒頭のシーンで、妻であり美容師である夏子(深津絵里)に髪を切ってもらいながら、まるでチンピラがイチャモンを付けるようなネチネチしたトークを続ける幸夫が描かれ、この映画はずっとこの調子で進むのではないかと見える。
ところが、妻が事故死し、同じ事故で妻を亡くしたトラック運転手・大宮(竹原ピストル)と知り合い、いきがかりから週2回大宮の2人の子供、真平(藤田健心)と灯(白鳥玉季)の面倒を見るようになると、子供たちの純真な心と接して癒やされたのか、幸夫は随分いい奴になってしまう。
それはあまりに安易な展開ではないか、とちょっと不満を覚える。
ところが、観ていると、幸夫は時折元のものすごいエゴの塊に戻って観客をうんざりさせてくれる。
そう、嫌な奴と言うよりもうんざりする奴なのである。僕らが自分の中の嫌な部分をなんとか宥めすかしたり押さえ込んだりしながら暮らしているのに、こいつはそれをあられもなくぶちまけてくれるからうんざりするのである。
そういう感じが、自ら自意識過剰であると認める本木雅弘によって見事に演じられている。対照的な位置に置かれている竹原ピストルも非常に存在感豊かでリアルであり、2人を振り回す子供たちもストーリーの中で非常にうまく機能している。
カメラは切り替え切り替えしながら会話を押えて行ったりもするのだが、ここぞというところでは動きを止めて役者、特に本木に長い台詞を吐かせる。そこに如何にも監督が俳優と勝負しているような感じが出ているのが興味深い。
人生は他者であるとか子育ては免罪符であるとか、ものすごく切れ味の良いフレーズが飛び出してきて、観ている僕らはグッと詰まってしまう。無意識に自分はこの作家よりマシだと思っていたのが急にコーナーに追い込まれたような気分になる。
幸夫が自転車に灯を乗せて急な坂を登るシーンとか、伸び放題になった髪を切りに行くシーンとか、エピソードの繋ぎ方がべらぼうにうまい。
しかし、では、夏子のスマホに残されたメールの下書きの意味は何だったのか?──それは放置される。人生においては全ての意味が解き明かされるものではないのだ。
そして、いつもの西川美和の映画と同じくモヤッとしたまま映画は終わる。それはそういうモヤッとした人生を突き切って自分は生きて行くのだという監督の決意であるようにも見えた。
思ったよりも激しくない映画だった。でも、そのくせ強い印象の残る映画だった。
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