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Sunday, August 14, 2016

映画『シン・ゴジラ』再鑑賞

【8月14日特記】 映画『シン・ゴジラ』をもう一度観てきた。

学生時代には時々やっていたが、近年では僕が同じ映画を映画館で複数回観るのは大変珍しい。常に新しい作品を漁っているので、映画館で観たものをテレビでもう一度観ることさえ稀だ。

今回は2006年1月28日の『エリ・エリ レマ サバクタニ』(青山真治監督、浅野忠信・宮﨑あおい主演)以来10年半ぶりの2回鑑賞ということになる。つまり、この映画にそれほど久しぶりに、それほど強い感銘を受けたということだ。

Godzilla_4

で、どうせ観るなら、そうだ、あそこで観ようと思った。そう、屋上にゴジラがいる TOHOシネマズ新宿である。新宿は東京では恐らく僕が一番たくさん映画を観ている、思い入れの強い街である。

このビルができた時には僕は大阪にいたが、こんな映画館ができたのならいつかここで観てやろう、と思っていた。

で、今回は2回めの記事なので、前回書き漏らしたことと、今回改めて気づいたことなどを順不同で書いておきたい。

  1. まず、テロップが出ている間に登場人物の役職名を全部読む暇がないということ。

これは初回の初っ端から感じていた。我々は中国人でもなければ、万葉歌人でも江戸時代の漢学者でもないので、漢字がたくさん並ぶと読みにくいのである。ところが、役所の名前や役職名は漢字の羅列であり、しかもそれが出てすぐ消えてしまうので、とてもじゃないけれど全部を読み通せないのである。

この映画の台本を読んで、その分量の多さを心配した東宝の幹部が、庵野監督に「2時間に収めてくださいよ」と念を押したら、庵野秀明は「大丈夫です。早口で喋らせますから」と言ったとか。このテロップの秒数の短さも、その延長線上の現象なのかもしれない(笑)

しかし、不思議なことに、そのことによって誰が誰だが分からず、観ていてよく解らなくなるかと言えばそうでもない。台詞や名札、省庁名の入ったブルゾンなどで必要最低限の情報は与えているのである。この辺は見事だなあと思った。

  1. それから2度見ると、構図についていろんなことに気づくということ。

僕は初回に観た時に、矢口(長谷川博己)とカヨコ・アン・パターソン(石原さとみ)が、米国がゴジラに対して熱核兵器を使おうとしているという話をするシーンの映像が非常に印象に残っている。

カメラが引いて矢口とカヨコがどんどん右隅に小さくなって行くのである。それは、カヨコが「おばあちゃんを不幸にした原爆」がこの国に三たび落とされることの不安と憤りを語ったシーンだ。このカメラワークは見事な不安の表現だと思った。

今日見なおしたら、それ以外にもいろいろなところのカメラワークに気づいた。意に反して大変な時に総理大臣になってしまった里見(平泉成)が、「こんなことで名前を残したくなかった」と言うシーンの、里見を下から捉えた画。これも不安の表現だと感じた。

僕が今書いているのは、この映画はカメラワークが素晴らしいということではない。

監督や撮影監督は当然のことながら全てのカットにいろいろな解釈をし、思い入れを込めて構図を決めているはずだ。だが、撮影を職業としてるのでない我々一般人は、そのほとんどをただ漫然と見過ごしているのである。

2度見ると、そこに発見がある。それは必ずしも制作者の意図したとおりではなく、僕の勝手な解釈かもしれない。でも、2度見ることでそういうものが生まれてくるのは良いことだと思う。

  1. この映画について、自衛隊を賛称して米国の傘からも自立して再軍備を目指す右翼的発想の映画だ、と非難している人がいることを昨日知ったのだが、もう一度見てみて、どう考えてもそれは考え過ぎだということ。

今の日本を描くのであれば、どう考えてもゴジラが出てくれば自衛隊は出ざるを得ない。それでダメなら恐らくは米軍(それは国連の名の下にかもしれないが)が出てくる。それでゴジラが倒れたら自衛隊や米軍賛美になるというのであれば、とてもじゃないけれど怪獣映画は作れない。

そういう批判をする人は、自衛隊がゴジラを前にして無力に壊滅したという結末を望むのだろうか? しかし、それでは映画にならない。

だいいち、自衛隊を称揚したいのであれば、もっとストレートに、英雄的に、感動的に、祭り上げた描き方ができるところである。ところがこの映画はそういう描き方をしていない。

初回の感想にも書いたが、冒頭から延々と描かれるのは、行政の無策と官僚制の冗長であり(自衛隊も当然そのシステムの中にある)、それに上乗せする形で、日本と米国の関係を中心に戦後の民主主義のあり方を総括しているのがこの映画なのではないだろうか?

僕は世の中の右傾化を心配する人の心情は理解できる。しかし、この映画でそれを言うのはどう見ても考え過ぎである。この映画は政治の世界からもう少し視点を下ろして、社会一般のありようを問うている気がする。

  1. 最後に、伊福部昭によるテーマ曲『ゴジラ』は聴けば聴くほどに名曲である。

2+2+5=9拍子の冒頭は、その1拍余った感じが如何にも人を不安にさせる。

僕はこの映画のキーワードは「不安」ではないかな、と思った次第である。

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