金メダルのニュースに思う
【8月9日特記】 僕は夜が強いほうではないこともあって、五輪であれワールドカップであれ、宵っ張りで必死でテレビを見るようなことはほとんどない。それでも、リオ五輪で男子体操が団体戦で金メダルを獲ったことは、朝起きてすぐに twitter で知った。登録してある新聞社から速報メールも来ていたし。
昔であればこうは行かなかった。
僕らの朝イチの情報は朝刊だった。新聞受けから引っ張り出しながら1面の見出しを読んだものだ。
ところが新聞には編集の締め切りがあり、深夜から未明にかけての出来事は朝刊に間に合わない。そういうニュースを知るのはテレビだった。
でも、テレビは自分がつけた時間、つけたチャンネルでニュースをやっているとは限らない。ワイドショーではそのニュースをたっぷりやった後、他のコーナーに入ったところかもしれない。
そういう場合は何も知らずに学校や職場に行って、同級生や同僚に「知らないのか」と言われて悔しい思いをしたものだ。
で、帰宅してからなんとか昨日の体操のシーンを見ようとするのだが、その時間にはテレビでは柔道やバレーボールの生中継やハイライトをやっていたりして、いらいらすることもあった。
そういう時代が懐かしい。僕らは今、朝起きた瞬間に大ニュースを知る。
いや、もちろん全員がそうでないことは知っている。「俺は朝起きてすぐに twitter や facebook 見たりしないよ」と言う人もいるだろうし、そもそもソーシャル・ネットワークと無縁な生活を送っている人もいるだろう。
ただ、あなた自身はそうであっても、あなたの周りのどこかには、こんな風に朝イチでいろんなことを知っている人が少しはいるはずで、しかもそういう人たちは少しずつ増えているはずだ。
仮に僕が今朝 twitter も新聞も(紙の新聞はもはや取ってないけれど)テレビも見落として金メダルを知らないまま家を出たとしても、電車の中で新聞の Web版を見て間違いなくそのニュースに追随することになる。紙と違って Web版の新聞は締め切りがなくどんどん更新されるからである。
新聞でさえそんな風に変わってきているのである。
そして、そういうことが世の中を目立たない形で変えている気がする。情報の集め方、判断の仕方、判断にかかる時間、判断の傾向、行動に移すまでのパタン、ものごとに対する嗜好性一般、等々。
そして、僕らはテレビの編成を考える時に、テレビの番組を作る時に、こういう時代背景の変化をしっかりと頭に入れておかなければならないと思うのである。
それは情報源としてのテレビの地位が低下したということでもあるし、逆に朝早くに事実を知って、その映像を観るためにテレビをつけてくれる人が確実に増えているということでもある。
もっとも、僕らはとかく大きな画面で映像を観たいという欲求が強い世代だが、若い人たちはベッドに寝転がったままスマホで動画を探すのかもしれない。
そういういろんなことを、いずれにしてもきっちり頭に入れておかなければ、テレビは今よりももっと見てもらえないメディアに堕ちて行くような気がする。
プル型のメディアであるインターネットは、用意すべき素材を上げてさえおけば、ユーザがリクエストしたものがそのまま叶えられる。ところが、プッシュ型のメディアであるテレビは、送り手が意識してプッシュして行く必要があるのだ。
だからこそ、今こそテレビはユーザ・ファーストを心懸ける必要があるのだと思う。
ただ、テレビ局の中にも、少数派ではあるがソーシャル・ネットワークと無縁な生活を送っていて、しかも周りに注意を払っていない人もいるわけで、そんな人にこういうことを解ってもらうのは、大変骨の折れる仕事である。
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