映画『君の名は。』
【8月28日特記】 映画『君の名は。』を観てきた(どうもこういう句点の使い方は気に入らないのだが)。
僕はアニメには詳しくない。新海誠監督も、名前は知っていたが、作品を観るのは今回が初めてである。
予告編を見て、「ああ、また入れ替わりモノか。そういうのはもういいや」と思ったのは事実。大林宣彦監督の『転校生』(1982年)以来、一体どれだけたくさんの映画やテレビドラマがそういう設定を取り入れただろう?
でも、封切りになると頗る良い評判が聞こえてきたので、観に行くことにした。前日にネットでチケットを取って良かった。一番前の列から最後列まで、1席も余らない、文字通りの満席だった。
観てよかった。とても素敵な作品だった。
まず、画が美しい。画に力があり、動きがある。最初の三葉が目覚めるシーンでは、カメラで撮影したのと同じように、構図が速く動くと画面の外側が歪む描き方が面白いと思ったが、そういうのは本質ではない。
画に奥行きがあり、構図の変え方がものすごく巧みで、特に引いた時の画が素晴らしい。
瀧のいる東京の風景も三葉のいる糸守町の景色もともに美しいのだが、その両者のコントラストが見事だと思う。人物の背景が本当にきれいで、作業の丁寧さが分かる。
そこに被ってくる RADWIMPS の歌も心に響いてくる。
入れ替わりモノの基本パタンは、1)最初に誰かと誰かの体が入れ替わってしまう、2)仕方なく他人(大抵は異性)の体を借りた生活を続ける、3)元に戻る方法が分かって元の2人に戻る──ここがクライマックス、という筋立てである。
この作品の違うところは、高校生の瀧と三葉が入れ替わってしまうのだが、その状態は間歇的に起こるということ。つまりしょっちゅう元に戻るのである。それと、この2人が元からの知り合いではなく、しかも非常に遠く離れたところに暮らしていること。
だから、よくあるように2人が会って、お互いの体の「使い方」について不平を言い合い、その上でどうするか作戦を打ち合わせるというシーンがない。いや、ないわけではないが、そもそもそれが誰の体なのか分からないところから始まっているので、そこに辿り着くまでものすごく時間がかかる。
もちろん『転校生』の80年台ではないので、ネットやスマホを活用していろんなことが行われる。ただ、これはそういう行き違いを楽しむコメディではない。
三葉は代々続く神社の娘。お祭りでは神事も司る。祖母から伝統の組紐を習っている。母は早くに亡くなり、養子だった父は神社を出て、政治を志し、今は町長だ。
三葉は田舎暮らしにうんざりしている。神社の娘や町長の娘であることも重荷に感じている。高校を卒業したら東京に出て自由に過ごしたいと思っている。来世では東京のイケメンに生まれ変わりたいと思っている。
瀧は東京のど真ん中、恐らくは四谷付近に暮らす高校生。アルバイトに明け暮れ、都会の生活を謳歌している。他のバイト仲間と同じように、バイト先のレストランの同僚である奥寺先輩に淡い恋心を抱いているが、どうして良いかさえ分からない。
だが、話はそんな2人の入れ替わりだけでは終わらない。ネタバレを避けるために詳しく書かないが、糸守の夏祭りの日に、地球に何十年ぶりに接近する彗星の話がそこに加わって、話はいっぺんにハラハラ・ドキドキになる。
その日を境に、2人の体は入れ替わらなくなる。もはや「入れ替わる」という設定に大きな意味はなくなる。あとはどうやったら2人が会えるのか、だ。記憶はどんどん薄れる。瀧と三葉という名前さえが記憶から消えて行く。
「君の名は?」(ここではあえて句点を疑問符にしてみたが)というタイトルはそこから来ている。
終盤の展開は本当に素敵だ。ハッピーエンドをしたたかに予感しているくせに、画面から目を離せない自分がいる。
人と人は、会いたかった人にやっと会えた時、すぐに走って行って飛びついたりするものだと思いがちだが、人間の思考や感情はもう少し微妙だ。ラストシーンの設定と台詞のやり取りはこの作品の中でも白眉ではないだろうか。
前半で蒔いた種を全部きれいに刈り取って、最後はとても良いところに落ち着いている。時間軸の選び方をはじめ、観客への見せ方がものすごく上手だと思った。
とても良い作品を観た。
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