テレビとは何か?
【7月29日特記】 僕が送った資料を読んだ会社の後輩から送られてきたメールにこんなことが書いてあった:
いろいろ考えさせられました。
(1) iPhoneで日経を読んだりするのですが、
この場合、「新聞」に入るのか「スマホ」に入るのか、iPhoneでradikoを使って「ラジオ」を聞いた場合、これは「ラジオ」なのか「スマホ」なのか、iPhoneで雑誌見放題のサービスで読む「雑誌」は「雑誌」なのか「スマホ」なのかiPhoneで見る「TVer」は、「テレビ」なのか「スマホ」なのかとか。
(2) 広告媒体としての価値を考えた場合、
それぞれの「デバイス」をどれだけ見るか・聞くかが重要と考えて、「デバイス単位」で接触状況を把握する方がいいのか、それとも「コンテンツ」単位でどれだけ見られたか、聞かれたかが重要と考えて、「コンテンツ単位」で接触状況を把握する方がいいのかとか。
ビデオリサーチが、PC視聴・タイムシフト視聴をカウントしているのは、「コンテンツ単位」の考え方で調査領域を広げているのだなとか。
(3) 「コンテンツ単位」で考えれば、
「スマホ」で新聞ソースの情報を見ているものについては、「新聞」に入れてあげればいいのにとか。
(4) 結局、
「デバイス」がどれだけ人の目に触れているかの『デバイス接触』と「デバイス」の中で、コンテンツがどれだけ人の目に触れているかの『コンテンツ接触』があって、メディア接触の調査では、どちらも見る必要があるなとか。
(5) デバイスとして、
肌身離さず持ち歩く「スマホ」の接触が増えているのは当然だと思います。「スマホ」の中での「テレビ」「ラジオ」のシェアを増やし、測定し、収入に結びつける、そのためにTVer等があるのだなとか。
「スマホ」の中の「テレビ」「ラジオ」
hulu AbemaTV radiko JoinTV… ほかにやり方ないかなとか。(5) Apple は、iPhone iPad iTunes AppleTV でデバイスを横断していて、
「スマホ」「タブレット」「ラジオ」「テレビ」の区別は、Appleのような企業にとっては、あまり意味がないのかもしれないとか。
(6) テレビとは何なのか?とか
伝送路とデバイスとコンテンツがひとまとまりで不可分だった頃は、シンプルでよかった…
最後の項目について、僕はこう返した:
僕の感じ方は逆ですね。テレビは伝送路とデバイスとコンテンツがごちゃまぜになったややこしいものだったのです。
それが漸くコンテンツ本位で見られる時代になった。コンテンツが良ければ、伝送路やデバイスを選ばなくなった。
もちろん僕らがすでに持っている伝送路やデバイスは維持すれば良い。改良して拡張すれば良い。
でも僕らは本来土管になりたかったのか? 違う。僕らはコンテンツである。コンテンツの生みの親であり、コンテンツの申し子である。
ちょっと構えてカッコつけすぎか(笑) でも、そういうことではないかなと、僕は捉えている。
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