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Sunday, June 26, 2016

映画『クリーピー 偽りの隣人』

【6月26日特記】 映画『クリーピー 偽りの隣人』を観てきた。(今回は少しネタバレっぽいところもあるので、これから観る人でそういうのが気になる人は読まないほうが良いかもしれない)

海外での高い評価に比べ、日本では過小評価されがちな黒沢清監督。前作『岸辺の旅』では珍しく“良い話”に仕上げてカンヌでも賞を獲り、これで日本でもいよいよ人気監督の仲間入りかと思われたが、それほど盛り上がらなかった。

だからというわけでもないのだろうが、今回はまた原点回帰して、黒沢監督が本来得意とするホラーものである。今回もものすごく怖い。

『クリーピー』というタイトルからしておぞましいが、これには前川裕による日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作の原作がある。

しかし、おぞましいホラーであるか、ほろりとする良い話なのかは、黒沢清の作品を評価する上での判断材料にはならない。彼の場合、どんな話を撮っても底流を形作っているのはある種の狂気であり、死に対する意識であるのだから。

高倉(西島秀俊)は警視庁殺人課の刑事。冒頭のシーンは彼が取調室でサイコパスの連続殺人犯(馬場徹)と向き合っているところだ。誰もが何を考えているか分からないと突き放している殺人犯に、高倉は親しげにに語りかける。どうやら犯罪心理学の知識があるようだ。

ところが、高倉が部屋を出た後、殺人犯は刑事を殺して部屋から脱走し、署内の階段の踊場で一般人の女性を人質にする。そこでも高倉は、銃を向けようとする同僚の野上(東出昌大)を制して、ひとりで犯人に自信たっぷりに語りかけながら近寄っていく。

ところが、高倉はあっけなく刺され、犯人はその場で射殺される。

そして、次のシーンは1年後、高倉は警察官を辞め、大学で犯罪心理学を教えている。そして、妻の康子(竹内結子)と2人で一戸建ての新居に移ってきた。隣の家に挨拶に行くと、なんとも感じの悪い挙動不審の男・西野(香川照之)が出てくる。

この西野の疑惑が1つめの筋。

もうひとつは6年前に日野市で一家3人が失踪し、当時中学生だった少女だけが取り残された事件。たまたまこの事件に興味を持った高倉と野上が繋がり、2人が現場を訪れてみると、そこに成人したその少女・早紀(川口春奈)が現れた。

この事件の謎が2つめの筋。そして2つの筋がどう交わってくるのかがストーリーのポイントである。

冒頭に書いたようにともかく怖い(いや、いつものことなのだがw)。香川照之の怪演もあるが、それだけではなくカメラワークも怖い。

誰もいなくなったあと、固定カメラがまだ何秒か同じところを映していたり、手前から撮っているカメラに向かって、西野が門を開けて入って来て不気味な表情を見せながら手前にフレームアウトしたり。

日野市の現場でクレーンカメラが一気に上昇してものすごい俯瞰になったり、高倉の大学の教官室のシーンで、ストーリーに関係ないはずなのだが何故かガラス越しにこちらをガン見している学生の姿が気になったり。

ワンボックスカーで走るシーンの風景をスクリーン・プロセスにして、わざと現実感を消し去っているところも、他の監督が他の映画でやると単なるチャチに終わるのだが、この監督がやるといつも非常に不気味である。

そして、何よりも怖いのは、西野がどこから見てもどこか壊れた人間の異常さを示しているのに対して、高倉が必ずしもその悪人/異常に対する正義/正常として描かれていないことなのである。

彼は刑事をやめてからも捜査的なことを「趣味でやっている」と言う。ぎりぎりの精神状態にある早紀の話を聞いて何度も「面白いですね」と言う。興奮してくると他人の気持ちを思いやることが全くできなくなる。ある種発達障害的な描かれ方をしているのである。

そういう設定があるから、何度となく出てくる西野と高倉の対決シーンが容易に先の読めないものになり、高倉と康子の夫婦の会話にもうっすらと妙な緊張感が出る。そして、高倉と西野の両者に挟まれて日に日におかしくなって行く康子。

西野は何とも言えない不愉快な、でも人の心に刺さる言葉を操って、ゆっくりと人を支配して行くのだが、康子がその術中にはまるのである。そして、既に西野に支配されてしまっている少女・澪を演じた藤野涼子も、どちらの側の人間なのか分からない怖さを見事に醸し出していた。

西野は高倉に「娘です」と澪を紹介したのだが、澪は高倉に西野のことを「父親じゃありません。知らない人です」と言う。この辺の展開も怖い。

脚本は黒沢清が弟子の池田千尋に書かせた後、黒沢が引き取って完成させたもの。撮影は黒沢監督とのコンビも長い芦澤明子である。

「すべてが解決してめでたしめでたし」という結末に慣れている人は驚くだろう。決してすべてのことは解決しない。未解決のまま残るもの、なんだかよく分からない謎のまま放置されるもの、先を思いやると不安が募るもの──そういう要素をこの映画はふんだんに貯めこんだままプッツリ終わる。

総じて後味は悪い。ただ、それでも救いはある。最後のシーンの竹内結子の演技がそれだ。この台本解釈はすごかった。彼女はこれで賞が撮れるかもしれない。

最後は風が吹いていた。

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