『エコー・メイカー』リチャード・パワーズ(書評)
【5月22日特記】 随分と時間がかかってしまった。何しろ44字×21行×628頁の大著である。しかし、「ああ、しんどかった」というのが半分ある一方で、「パワーズは年々読みやすくなっている」という思いが半分ある。
それぐらい晦渋な作家だった。話が入り組みすぎていて、飛びすぎていて、しかも扱う領域が該博と言うのを超えて果てしなく、もう追従不可能なバケモノ的な作家──というのが、かつて僕がこの作家に持っていたイメージである。
この作品は2006年に発表され、全米図書賞を受賞している。順番としては『われらが歌う時』(2003年)の次、『幸福の遺伝子』(2009年)『オルフェオ』(2014年)の前に書かれた小説である。
僕はすでに後の2作も読んでしまっているが、こうやって並べてみると、どんどん読みやすくなっているという印象はますます強くなる。
しかし、それは彼が構築する物語が単純で解りやすいものになっているということでは全然ない。
カリン・シュルーターの弟マークが交通事故に遭い、頭部に損傷を受ける。カリンは仕事を投げ打って病院に駆けつけるが、やがて意識の戻った弟は彼女を姉と認めず、上手く真似てはいるが別人の「カリン2号」だと言う。買っていた犬もすりかわっていると主張する。
マークの運転するトラックがどういう状況で横転したのかは、本人も記憶になく謎のまま。病室には誰が書いたか分からない、「私は何者でもない」で始まる詩のような文章が残されている。
そして、その詩の各行がそのままこの小説の5部の章題になっている。
そこに呼び寄せられた脳科学者ウェーバー、病院の看護助手バーバラ、自然保護活動家のダニエル、そして、毎年その地に降り立つ鶴の大群が絡んで、まるでミステリ小説のように、読者に先を読ませる道具は見事に揃っている。
ウェーバーの普段の仕事や私生活、野生の鶴の生態など、メインのストーリーの進行に直接大きな影響のなさそうな(いや、一見なさそうに見える)ところにまでページを割いて書いているので、物語は遅々として進まない。しかし、構造的には整理されているので、読んでいてこんがらがることはない。むしろ、どんどん先が読みたくなる。
だが、これはミステリでもなければ、医療ノベルでもない。では、何なのか?と言われると、これはパワーズであるとしか、他に言いようがない。そう、これこそがまさしくパワーズのべらぼうな世界なのである。
訳者あとがきの難解な解題を読んでみてほしい。これはカプグラ症候群という実際にある脳の病気を扱った小説であるだけではなく、脳をモデルにして組み立てた小説なのだと言う。つまり、小説の構造が脳の構造を反映していると言うのである。
それを聞いただけでもすごいと思う人は是非この小説を手に取ってほしい。
パワーズはいつもそうなのだが、読むのがしんどい分、読後感もそれに比例して深い。
作中で読者に投げかけた謎をもっと中途半端に放り出したまま作品を終えるのではないかという予想は見事に裏切られる。しっかりと終結する小説である。
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