随想その2:サラリーマン川柳
【5月24日特記】 第29回「サラリーマン川柳」コンクールの発表があった。
実は僕は9年ほど前にこのブログに、このコンクールで選ばれた川柳が面白くないと書いた。それは「発想の面白さだけで選考されていて、表現の巧みさがないがしろにされているから」である。
今日また発表の結果を初めて(ニュースではなく)ホームページで読んで、何故このコンクールが面白くないかが分かったような気がする。これはプロの審査員が選んでいるのではなく、一般人の投票によって決まっていたのだ!
一般人の投票となると表現の面白さよりも発想の面白さに寄ってしまうのは、ある程度仕方のないことかもしれない。
しかし、申し訳ないけれど、僕としてはやっぱり今年も面白くない。
他人様のお書きになったものを、しかも、第1位に選ばれたものを悪し様に書くのは本意ではないが、投票した皆さんと僕の感覚の違いを説明するために、申し訳ないけれど少し引用して具体的に書いてみたいと思う。
第1位は、
退職金 もらった瞬間 妻ドローン
である。いわゆる熟年離婚である。しかも、夫が退職した途端に妻に愛想を尽かされるという、ありそうな話である。で、上でも述べた通り、これを取り上げる発想は良いのである。発想としては面白い。
でも、表現としてはどこか面白いか?
選評のひとつに「流行りのドローンと離婚して妻がドロンといなくなるさまをかけてあり」とある。確かに意識して掛けたのかもしれない。でも、そこに掛ける必然性はあるか? ただ、なんとなく掛かっていても、それだけでは面白くないのではないかな、と僕は感じるのである。
もし掛けるのであれば、ドロンとドローンの2つを繋ぐ要素が必要になるのではないだろうか? 例えば妻がいなくなるさまのドロンと、誰も乗らずにリモコンで操縦するドローンを、「無人」という言葉で繋いではどうだろう? 例えば、
退職日 妻ドロンして 家無人
いや、今咄嗟に考えただけなので、これが巧い川柳だとは言わない。表現も舌足らずなので、ドロンからドローン(ひいては「無人」との関連)を連想してもらえないかもしれない。ただ、考え方としてはこういうことなのだ。
「妻がドロンと消える」という表現が「無人で操縦するドローンみたいに誰もいなくなる」ということに繋がる、そういう構造こそが僕が面白いと感じるところなのである。それくらいの表現の技巧があって初めて面白い、というのが僕の感覚なのである。
謎かけ言葉の名作にこういうのがある。
ウグイスと掛けて葬式と説く
その心は、泣き泣き埋めに行きます
この面白さは「泣き泣き」が「啼き啼き」に、「埋めに」が「梅に」と、2つの掛詞が入っているからである。こういう技巧を僕は面白いと思う。
さて、どうも貶すという行為は後味の良いものではないので、後半は褒めてみたいと思う。1位から10位の中で、僕が面白いと思うのは第5位の
福沢を崩した途端 去る野口
である。
これは「お札」や「紙幣」などという言葉を使わずに「お金」のことを言っている。それは日本で長年暮らしている人なら多分誰にでも判る、技巧的に非常に優れた表現だと僕は思う。
単にお金を別のものに喩えているのではなく、お札に描かれた人物に言い換えることによって「擬人化」が成立している。そのことによって千円札が「去る」という表現が活きてくるのである。
そして「去る」という表現が「自由にならないお金」というイメージを増幅させる。そこには野口英世がニヤッと嗤っている顔まで髣髴とさせる。
僕なら文句なしにこちらを選ぶのだが、現実には第1位は第5位の倍近い票数を集めている。
みんな「退職金 もらった瞬間 妻ドローン」のほうが面白いと思うんだろうか? 決して「こちらのほうが巧い」と言いたいのではない。「こちらのほうが面白い」と思うのである。僕の感覚はおかしいのだろうか?
まあ、おかしいならおかしいで良いのだが、僕が9年前に「選考結果が発表されると毎年見ている。そして毎年首を傾げることになる」と書いたのは、上に書いたようなことなのである。
あの時は充分説明できなかった気がするが、今回は少し具体的に書けたので、自分としては少し満足している。
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