『異類婚姻譚』本谷有希子(書評)
【4月6日特記】 本谷有希子はずっと気になっていた作家だ。
僕がその名前を知ったのは2007年の映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の原作者としてだった。佐藤江梨子の演技も吉田大八の演出もともかく凄かったということもあったが、まずもってこのストーリーは何だ!と腰を抜かした。
佐藤江梨子が演じていた澄伽という傍若無人のバカ女に対して、僕は共感の欠片も持ち得なかった。むしろ殺してやりたいぐらいの嫌悪感があった。でも、「あー、いるんだよ、こんな女」と歯ぎしりしたくなるほどのリアリティがあった。
佐津川愛美が演じた妹も含めて、この刺すような洞察は何なんだろう? この毒素の強い描き方はどこから来るんだろう? これは恐らく吉田大八の脚本だけの力ではない。多分原作からして凄いのだ。
でも、原作もこういうトーンなのだろうか?──などと思いながら、結局僕は彼女の小説を読むことも、彼女の芝居を観ることもないまま時が経ってしまった。
で、何度か芥川賞候補になり、僕は読んだこともないのに、「そのうちきっと獲るだろうな」と思っていたら、本当に受賞したのがこの作品だった。
『異類婚姻譚』というタイトルから何を連想するか?
表題作では、一見ぬぼーとした旦那が登場する。最近主人公の「私」に顔が似てきただけかと思ったら、展開はそこでは止まらない。
さて、ここから先ストーリーは、実は旦那はバケモノでした、みたいな怪異譚めいたところに嵌り込むのか、それともタイトルはあくまで比喩であって、主人公の内面の揺れを描く現実的な話に戻って来るのか?
何度か読んでいる作家なら見当がつくのだが、何しろ初めて読むので先が全く読めない。それだけに面白かった。ああ、そっちに行くのか、という感じ。
ただ、この作家は、そしてとりわけこの受賞作は、最近作風が変わったと言われている。じゃあ、前はどんな小説を書いていたのか? とても気になる。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の原作も読んでみたいし、彼女の書いた芝居も観てみたい。
で、読んでいてすぐに感じたのは、全く途中でつっかえることのない文章だということ。不自然なところがない。考えて考えて書いたような固い表現がない。登場人物のいる背後に、それを書いている作者の影が見えたりすることもない。
小洒落た表現があるわけではないが、的確な描写が多く、面白い発想に溢れ、ストーリーは淀みなく流れて行く。僕はこういう書き手こそを「文章が巧い」と言うことにしている。
恐らく『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の頃の怖さとは少し違ってきているのだろうが、しかし、ここに掲載されている4つの短編(表題作は中編と言って良い)は、いずれもやはり怖い。
それは彼女が若かった頃に体内に溜めていたであろうような、一刺しで命を奪い取る猛毒ではなく、毎日少しずつ毒を盛って、盛られた本人が気づかないまま死んで行くような、別の意味で怖い、スローな毒なのである。
そして、その毒は恐らく彼女の冷徹な観察眼から煙のように立ち上ってくるのだろう。いや、その観察力に空想力が加わったことによってパワーアップしたのではないか。
特に最後の『藁の夫』が怖い。夫が壊れているのか、自分が壊れているのか分からなくなる──まさにそこが怖いのである。
次は初期の作品を読んでみようと思う。
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