車中にて
【4月23日特記】 ちょうど5年前にも同じようなことを書いたのだが、最近満員の電車のドア付近に立っていて、駅に着いて降りる人がたくさんいても決して道を譲ろうとしない人が大変多い。
一昨日などは、道を譲らないどころか、足を踏ん張って一歩も動くものかという構えの若者に行く手を阻まれ、降りるのに四苦八苦した。
これは一体どうなっているんだろう? 僕らの若いころは、ドア付近に立っている者は誰も皆、降りる人のために一旦自分も車外に出て脇へ避けるのが暗黙のルールだった。
そうやって一旦電車を降りてしまうと、再び満員電車に乗り込んだ時は大抵またドア付近に立つことになる。そうすると次の駅でまた降りることになって非常に面倒くさいのだが、それでも降りるのがエチケットというものだった。
それがどうしてなくなったんだろう?
でも、だからと言って、(5年前にも同じようなことを書いたが)それを以て近頃の若者の態度は…などと早計な断罪はしたくない。そう、僕らが知らないだけで、いつの間にかルールやマナーが変わったのかもしれない。
そういうものは時代の流れの中で多かれ少なかれ変わって行くものなのだから。問題は、では、そのルールなりマナーなりがどういう風に変わったかということである。
電車を降りる時、僕らはどうするのが正解なのだろう? スペースを開けない若者が、逆の立場になって降りようとする場合、どういう行動に出るのが正しい作法なのだろう?
──構わずグイグイ押すのか、いや、押すのは失礼で、なんとかかんとか隙間を見つけてすり抜けるべきなのか、あるいは「すみません」と声に出してお願いさえすれば実は意外に気持よくスペースを開けてくれたりするのだろうか。
それとも、ひょっとすると、電車の中では降りない乗客こそが王様で、降りる客は常に耐え忍ぶべき存在なのかもしれない。それに耐え切れないような者は満員電車に乗るな、バカ野郎!ということなのかもしれない。
考えてみれば、駅のアナウンスはこれから乗り込む客に「ドア付近を広く開けて、降りるお客様を先にお通しください」と言っているが、ドア付近で降りない客に対しては何の要請もしていない。
ただ、なんであれ、降ろせ降ろさないでドア付近で殴り合いをしている人を見たことがないので、そこには喧嘩にならないための何等かの仕組みがあるはずなのである。それが何なのかが分からない。
それさえ解明できれば、それさえマスターできれば、降車はもっと心穏やかな作業になるかもしれないのに──と、この何年間かずっと思い続けている。
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