『琥珀のまたたき』小川洋子(書評)
【3月15日特記】 kindle で読んだ。実は途中まで読んだところでちょっと失敗だったかなと思った。悪しざまな言い方をしてしまうと、最近の小川洋子ってどれも同じではないかという思いに囚われたのである。
『薬指の標本』や『貴婦人Aの蘇生』、『博士の愛した数式』などを読んだ時にはそれほど感じなかったのだが、ここ何年かの作品にはどうもメルヘン的な色合いが強くなってきているように思う。
現実世界から少し外れた物語を書く作家なので、ある程度そういう色合いが出るのは仕方がないが、昔は子供を扱っても、もう少し冷たくて怖かったような気がする。
それは作者がある意味で優しさを身につけてきたということなのかもしれない。僕はその優しさに少し倦んできたのだろう。
ただ、それはあくまで途中まで読んだところの感想であって、後半になると一気に筆致が立ってきた感があり、作品的なまとまりが見えてくる。そして、最後まで読んだ時、やっぱり不思議に救われたような気分になる。これこそがプロの作家の力なのだろうと思う。
今回もまた不思議な話である。主人公は琥珀という名の少年。これが、並行して語られる物語に登場するアンバー氏という老人と同一人物であることは、読み始めてすぐに分かる。
琥珀にはオパールという姉がいる。瑪瑙という弟もいる。その下にもうひとり妹がいたが、魔犬の呪いで死んでしまう。本当かどうかは分からないが、少なくともママはそう信じている。
ママは3人の子どもたちを守るために、離婚したパパの古い別荘に移り住み、子どもたちには決してその敷地内から出ないように言い、大きな声で話すことを禁じ、そして本当の名前を捨てさせて、オパール、琥珀、瑪瑙という名前を与える。
ママは魔犬に襲われた時のために、毎日ツルハシを持って出勤する。3人はそれでも、その屋敷の中でのびのびと暮らす。
その後の細かい進行については実際に作家の文章を読んでほしいのでここには書かないが、やがて琥珀の左目の中に死んだはずの妹が住み着き、そして、その後父親の残した図鑑のページの中に現れる。
この辺の設定はこの作家でなければ決して思いつかないだろう。そして、エピソードも記述も、この細部の豊かさについては、ここまでの域に達した作家はそうそういないだろう。
子どもたちの無邪気な遊びと日々の暮らしがあり、やがて悲しい事件があり、そして、中抜きにはなっているが、並行して書かれているアンバー氏の今日の日常と物語は繋がって行く。
最初はメルヘンに見えた物語も、「3人のきょうだいはいつまでも幸せに暮らしたとさ」みたいな形では決して終わらない。
それは子供がいろんなものを脱ぎ捨てて大人になる様を描き出したようでもあり、逆に、大人になっても決して忘れてはいけない何かを書き留めたようでもある。
アンバー氏は多分、世間からすれば、ちょっとぼうっとして、あまり世の中の役に立つような人には見えない存在だろう。ただ、誰しも彼の「瞬間の展覧会」を一度は見てみたいと思うのではないだろうか。
そこに何があるのか、明確に言うことはできない。そこにある何だか分からない何かを描くために、小川洋子がこれだけのページを費やしたのだということは分かるが…。
小川洋子は常にそういう名状しがたいものを描く作家である。
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