『エンピツ戦記』舘野仁美(書評)
【3月24日特記】 珍しく他人から借りた本を読んだ。
僕は基本的に本は買って読む主義だが、頑なに借りることを拒否しているわけではない。
僕の勤務先の放送局はアニメを多く手がけており、従ってアニメに造詣の深い社員も少なくない。そんな社員のひとりが「面白いよ」と言うので借りたのである。
で、事実面白かった。と言うか、ジブリのすごさに舌を巻いた。
この本は長年スタジオジブリで「動画チェック」という仕事をしていた舘野仁美という人が、ジブリの社内報向けに書いていた文章を、再編集して出版したものである。
「動画チェック」というのが何をする仕事なのか、一般人は知らないだろう。こういう業界にいながら、僕も知らなかった。恐らくアニメ制作に直接関わったことのある人しか知らないと思う。
だから、筆者はそういうところから丁寧に説明してくれる。そして、そういう説明を読むにつけて、アニメって、そんなにも多くのスタッフが、そこまで細かい分業体制で作っているのか!と驚くばかりなのである。
いや、これらは決してアニメ業界共通の一般的なやり方ではないと書いてある。むしろジブリならではの部分が多いようだ。だからこそ、ジブリはこれだけクオリティの高い作品を作り続けて来られたのか!と舌を巻いたのである。
しかし、僕自身はジブリの作品にはあまり親しまずにきた。ジブリが設立される少し前ぐらいに、ちょうど僕は青春期を終えて、おっさんとしか言いようのない年代に突入したので、アニメ自体から離れてしまったということもあるのだろう。
だから、ラピュタもトトロももののけ姫も今もって観ていない。初めて観たのは『おもひでぽろぽろ』。これはテーマが明らかに大人向けだと感じたから観たのかもしれない。
『千と千尋の神隠し』を観て初めてこの制作スタジオはすごいと認識したのだが、それでもそこから続けて観ることはせず、ハウルもポニョも観ていない。それでも、ここ数年ではコクリコ坂、風立ちぬ、マーニーと、打率は上がっている。
ようやく年代を超えてアニメ作品を鑑賞できる境地に達したように思う。
そういう中でこの本を読むと、やはり宮﨑駿という天才の日常に触れるのは面白い。それはある程度予想どおりの人間像ではあるのだが、彼の言葉や信念には圧倒的な説得力がある。
「写真や資料映像を見て、そのまま描くな」「森羅万象に興味をもってよく観察して、記憶して、いつでもその動きを表現できるようになっているのがアニメーターなのだ」(54ページ)、「自分たちはつくり手であって、消費者になるな」「消費者視点で作品を作ってはいけない」(121ページ)、「いまの若い人は、絵は上手だけど、空間をつくれていない人が多い」(196ページ)など、いちいちなるほどと思う。
もちろん、登場するのは宮﨑駿だけではない。有名な鈴木敏夫プロデューサーをはじめ、恐らくアニメのマニアであれば名前くらいは知っているのではないかと思われるスタッフが次々に現れる。しかも、その全員の仕事ぶりがいきいきと描かれている。
筆者である舘野仁美の「動画」(それは「原画」という言葉と対照的に使われている)に対するこだわりと熱意も、余すところなく描かれている。
しかし、それらにもまして驚いたのは、平林享子という人による巻末の「構成者あとがき」である。
一般的に社報に連載する文章なんて、社報の編集担当者が記事を書いてくれそうな(書けそうな)社員を一本釣りして原稿を依頼し、それを編集者がチェックして掲載するだけで終わるものである。
その編集者に当たるのがこの平林享子なのだが、この社報記事がほとんど舘野仁美の記憶に頼って書かれたということもあるのだろうが、この編集者は徹底的な「裏取り」をして決して「片情報」では終わらせていない。
宮﨑駿への根回しもしている。彼に「やるべきではない」と言われて必死で説得もしている。そして、複数のキーマンに文章チェックを頼み、書かれた事実の公平を期し、描かれた人物が傷つかないように配慮している。
その挙句に筆者の舘野からは「私のことをいい人に書きすぎている。文章をきれいにまとめすぎていて、おもしろくない!」(228ページ)となじられてもいる。
ああ、スタジオジブリって、ことほどさようにチームプレーで成り立っていたんだ、それこそがジブリの強さなんだ、と僕は大いに納得したのであった。
舘野さん、スタジオジブリ解散後は、かつて僕も住んでいた西荻窪でカフェをやっているとのこと。僕も久しぶりにあの街を訪ねてみたい気分になった。
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