液化
【1月26日特記】 年を取ってくると若いころは分からなかった歌の良さが解ってきたりするものである。
それは、若いころはロックばかり聴いていたのに、年を取ったら演歌しか聴かなくなったなどというようなとんでもない転換ではない。
好きな歌手の作品の中で、別に何とも思わなかったような曲が、なんだか良いなと思え始めるといったことだ。
それは若いころはピンとこなかった歌詞の内容が、歳を重ねて実感できるようになったというような単純なことでもない。
いや、もちろんそれもある。だが、詞だけの問題ではない。曲も含めて、空気のようだった歌が急に温かい液体になって皮膚に染みこんでくるような感覚である。
例を出そう。
僕は吉田拓郎が亡くなった日にはどんな曲をかけようかとずっと思案してきた。
元気で活動している歌手に向かって全く失礼な話だが、でも、吉田拓郎は若いころ僕の人生に多大な影響を与えた存在だし、僕より年上だから僕より先に死ぬ可能性が高いし、そういう日に尊敬すべき彼に対して、僕はどの曲を選んで聴くのが、供養になるのだろうか?と考えていたのである。
『イメージの詩』だろうか『やせっぽちのブルース』だろうか?
『人間なんて』だろうか『春だったね』だろうか?
『君去りし後』だろうか『人生を語らず』だろうか、あるいは『もうすぐ帰るよ』あたりだろうか?
あるいは、『どうしてこんなに悲しいんだろう』とか『僕の唄はサヨナラだけ』とかだろうか?
それとも『アキラ』や『気持ちだよ』なんだろうか?
もちろんそれらも聴くだろう。全部発売当時から好きな曲だ。
だが、最近よく聴きたくなるのは『おやじの唄』である。これは僕が中高生の時にはあまり理解できなかった。もちろん詩の題材や内容のせいもある。でもそれだけではない。
この歌の全体的なまとまりが、何と言うか、僕の体内にぬるりと入り込む時が来たような気がする。
この歌が彼の追悼になるのかどうかは甚だ疑問だが、もし彼が僕より先に死んだら、その日に僕はきっとこの曲をかけると思う。
もちろん、吉田拓郎にはもっと生きてもっと歌ってほしいし、かと言って僕のほうが彼より先に死ぬようなことになるのも困るのだが(笑)
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