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Sunday, January 17, 2016

映画『の・ようなもの の ようなもの』

【1月16日特記】 映画『の・ようなもの の ようなもの』を観てきた。

1981年の森田芳光監督の35mmデビュー作『の・ようなもの』は、僕が生涯観た邦画の中で一番大きな衝撃を受けた映画だ。

もちろん、そこには当時の時代の環境や世相や気分があり、僕らのあの年代特有の感受性もあったからであり、「そんなにすごい映画なのか」と今から慌てて見ても理解できないかもしれない。

それはちょうど僕がヌーベルバーグの名作映画を観た時に「これのどこがすごいの?」と思ったのと同じことだ。

だから、あの時代にあの映画を観ていない人たちと思いを共有するのはとても難しいと思う。だが、僕は、いや、僕らはあの映画に圧倒されたのだ。

駆け出しの落語家・志ん魚(しんとと)(伊藤克信)が女子高生の由実(麻生えりか)とトルコ嬢(当時はまだソープランドと言わずトルコ風呂と言った)のエリザベス(秋吉久美子)に振られて、真夜中の堀切から夜明けの浅草まで「シントト、シントト」と呟きながら歩く映画だ。

──などと言うと、なんでそんな映画が面白いの?と言われるだろう。そう!僕もそこに驚いたのである。

なんでこんな映画がこんなに面白いのだろう? なんで大して何も起こらないのにこんなに面白い映画を、こんなに若い監督が作れるのだろう? 堀切から浅草までのこの美しい風景は、どうやったらこんなものが撮れるのだろう?と。

当時この映画の宣伝に使われたキャッチフレーズは「ニュアンス映画」だった。僕らは森田芳光がニュアンスを伝えてくるやり方に驚愕し、共感し、心酔したのである。

今回の監督は杉山泰一。今回が監督デビューだが、僕はこの名前をしっかり記憶していた。それは僕が映画の記録をつける時に、必ずファースト助監督の名前を記録しているからだ。

僕の記録には編集や照明、録音などの担当者を記録する欄はない。出来上がった作品だけを観て、それらの良し悪しを云々する眼力が、素人にはないからである。編集前の素材や、全く違うプランによる照明でも見せてくれないことには違いが分からないのである。

でも、どの監督について来たかということは、監督になってからの作風に結構如実に顕れるものである。杉山泰一は『の・ようなもの』以来、森田芳光が監督や脚本を務めた16本の映画に「助監督」「監督補」として名を連ねている。

僕はそのうちの8本を観ている。そして、彼が他の監督についた映画も5本観ている。調べてみると彼は全部で30本ほどの映画の助監督や監督補などを務めている。

では、今回の映画に如何にも「森田の弟子」という作風が出ているかどうかと言うと、それは出ているに決まっている。と言うか、これは森田の作風をなぞった映画なのだから、出ていて当たり前なのであり、だからこそまさに杉山泰一にしか撮れない映画なのである。

杉山たち旧・森田組の面々は、森田芳光を超えようとか、自分たちの個性を打ち出そうなんてこれっぽっちも思っていない。ここにあるのは森田への思慕と敬愛、そして、追悼と供養なのである。

今回も駆け出しの落語家・志ん田(しんでん)の話である。演ずるのは『僕達急行 A列車で行こう』の松山ケンイチである。そして、かつて森田映画に出演した人たちが次々と登場する。

『間宮兄弟』の佐々木蔵之介と塚地武雅と北川景子、『家族ゲーム』主演の宮川一朗太、『39 刑法第39畳』の鈴木京香…。他にも枚挙に暇がない。

志ん田の兄弟子の志ん麦に扮しているなよっとしたおっさんは誰だ?と思って観ていたら、『メインテーマ』(ちなみに僕はこれが薬師丸ひろ子主演映画の最高傑作だと思っている)の野村宏伸だと判った時の嬉しさたるや半端ではなかった。

さらに、『の・ようなもの』と同じ役で尾藤イサオとでんでんが出てくる。当時の志ん魚の兄弟子たち、今の志ん田の師匠と兄弟子である。

そして、何よりも、あの志ん魚の役で伊藤克信が帰って来た。今では落語家を辞めて行方不明になっているという設定だ。それがひょんなことから探し出されて高座に上がることになる。

森田は落研にいた栃木弁の青年を『の・ようなもの』の主役に起用した。そして、それ以降、チョイ役ではあるが伊藤をずっと使い続けた。僕は森田映画で伊藤克信を発見するたびに「あ、志ん魚だ!」と心の中で声を上げていた。

今回は松山と伊藤の2人で完全に森田ワールドを復活させている。脚本を書いたのは堀口正樹という人で、彼も2本の森田映画で監督助手を務めている。撮影の沖村志宏も何本かの森田映画で撮影助手を務めた人物だ。

そんな森田組の再結集で、森田映画のニュアンスと、アンチ・ロマンと、人間観を見事に復活させている。ハートが熱くなった。

『の・ようなもの』のラストで志ん魚が地名や道筋を述べながら堀切から浅草まで歩いた手法は、落語や講談でよく使われるもので、「道中づけ」と呼ばれていることを今日初めて知った。

その道中づけが、この『の・ようなもの の ようなもの』でも、再び高座に上がった志ん魚の落語の中で出てくる。短いシーンだが、これを聴いているだけで涙が出そうになった。

そして、エンディングの歌。最初の1小節を聞いただけで誰の声か判った。なんと粋なキャスティングだろう!と思ったのだが、実は『の・ようなもの』でも同じ曲が使われていたことはすっかり忘れていた。それを知るともっと胸に迫るものがある。

この映画は『の・ようなもの』と森田芳光の両方に思い入れがある人しか観てはいけない、などとは言わない。観てあれこれ言うのは自由である。でも、そういう思い入れのある人しか観ても仕方がない、とは思った。

今、見終わって、とてもとても幸せな気分である。この映画は是非とも今年のキネマ旬報ベストテンに入ってほしい作品である。

先日 WOWOW から『の・ようなもの』を録画したので、こちらも35年ぶりにもう一度ゆっくりと観てみたいと思う。

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