Microsoft の不思議
【1月4日特記】 Windows10 のバージョンを 1511(OSビルド10586.36)に上げたら、既定のアプリケーションをいくつか勝手に変更されていた。
PDF を開こうとダブルクリックしたら、聞いたこともない名前の、全画面展開するアプリが立ち上がってきた。メールの本文中の URL を突っついたら、Microsoft Edge が立ち上がってきた。
Microsoft はどうしてこんな姑息なことをするのだろう、と溜め息が出る。こういうことをやって一体どれほどの利益があると言うのだろう?
PDF はずっと Adobe で開いてきた僕はすぐにその訳の分からない全画面アプリを閉じて、既定のアプリの設定を戻した。Edge も閉じて、「プログラムから開く」で Chrome を選んで開き直した(当然「以後もこのプログラムで開く」にチェックも入れた)。
だから、僕のようなユーザをそういう姑息な手段で「釣る」ことはできない。寧ろそういう姑息なやり口に反感を募らせることになるので、Microsoft のイメージはますます悪化する。
では、もっとコンピュータ関係のいろんなことに疎いユーザならどうか?
そもそもアプリが切り替わったことに気づかないかもしれない。その場合は Microsoft の思惑通りになるわけだが、それは惰性で使っているだけで決して Microsoft製品のファンになったわけではないので、長期の利益には繋がらないだろう。
あるいは、「アプリが切り替わったな」とは気づいても、そういうことにあまりこだわりがないので構わず使い続けるかもしれない。しかし、そういうユーザは要するにどのアプリでも良いわけで、これまたユーザを囲い込んだことにはならない。
あるいは、パソコンには詳しくても僕のように狭量ではなく、新しいアプリで立ち上がったのを見て、「お、こんなアプリがあったのか。よし使ってみよう」と思う人もいるのかもしれない。そして、そのうちの何%かの人はそれを大いに気に入るのかもしれない。
しかし、そういう人がどれほどいると言うのだ?
その対極には、僕のように腹を立てて、「もう死んでも IE や Edge は使わないぞ」と心に誓う人だっているだろうに。
自社のアプリで立ち上がるようにしておけば、自社のアプリのシェアが増えると考えるのはあまりにも浅はかである。
それは僕が働く業界での事象になぞらえるなら、地デジが始まりデータ放送をやることになった時に、インターネットに直接繋がらないようにするために、わざわざ HTML ではなく BML を記述言語に選ぼうとした態度と同じである。
「番組をネットで配信なんかすると、みんな配信で見てテレビを見なくなる」と本気で恐れおののく困った経営者(ちなみに僕の会社はそうではない)と同じである。
インターネットの世界には Web2.0 という素晴らしい思想があり、どの企業やサービスも、他者とあらゆるものを共有し混じり合い、繋がって広がることで発展を遂げてきたはずである。「ユーザ本位」こそがすべての開発の基本であったはずである。
そういう世界で育ってきたはずの Microsoft が、最近では .NET Framework のオープンソース化に取り組んだりもしてきた企業が、結局のところ未だにかつての栄光の覇権主義から抜けだせないでいるのかと思うと、非常に悲しい気分である。
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