映画『亜人 第1部 ─衝動─』
【11月28日特記】 映画『亜人 第1部 ─衝動─』を観てきた。
僕はこの年にしては割合アニメーションを観ているほうだと思うのだが、その原作となっている漫画のほうには全く手が回らない。
従って、この原作もまるで知らなかったのだが、どこかで予告を見たのか記事を読んだのか忘れてしまったが、ともかくやたらと面白そうなので観に行こうと早くから決めていた。ちなみに桜井亜門原作のコミックスは大ヒットなのだそうだ。
設定は単純である。アフリカで決して死なない「亜人」が発見される。厳密に言えば、死なないのではなく、一旦死んでから再生するのである。何度死んでも蘇生する。
それが先天的なものなのか後天的なものなのか、そもそも人間なのか人間とは違う種の何かなのかは明らかにされない。いや、そこまで研究が進んでいないという設定になっている。
冒頭のアフリカでの最初の亜人を捕獲するための戦闘シーンでまず驚いた。夜の闇を人工の照明で照らした、光と闇の非常にコントラストの強い、印象的な画である。
冒頭だけかと思っていたら、このチームはどうやらそういう光と影の対照を得意とするクリエイタのようで、その後のシーンでも終始くっきりとした光と闇の境界線と、その境界線の移動が鮮やかに描かれている。
典型的な CGアニメと言える絵柄で、画面のどこにどういう(表面)素材の何があって、画面の外側のどの位置に光源があり、そこからどのくらい強い光が当たっているかをコンピュータに計算させて描いている感じがしっかりと出ている。
人の動きにも計算の跡が窺えるように思う。その少しだけ自然でない動きが、この映画のムードによく合っている。
アングルも極めてダイナミックで、実写映画よりも自由に動かせる分、遥かに迫力がある。残酷なシーンをぐんぐんドライブして行く。
そして、そういう画の力だけでなく、物語の展開が予断を許さず、非常にスリリングで面白い。
進学校に通い、医学部を目指している高校生・永井圭は、トラックに跳ねられても死ななかったことで、亜人であったことが皆に知られてしまう。もちろん圭自身も知らなかったことだ。
幼なじみの海斗は、圭が母親に友だちづきあいを禁じられて海斗を無視するようになっていたにも関わらず、偏見なく友人として振る舞い、圭の逃避行を助けてくれる。
国は、公式には日本で3例目の貴重な亜人を捕獲すべく総動員でかかってくる。1億円の賞金が付いたために、逃亡中の圭に気づいた人間も次々に襲ってくる。
亜人は死なないだけではない。アメリカの研究者には IBM(Invisible Black Matter)と呼ばれている、黒い幽霊のような、強靭な分身を操ることができる。なお、この存在は亜人にしか見えない。
で、そこに当局から「帽子」と呼ばれている未公認の亜人・佐藤が、公式2例目の亜人で、拷問めいた実験から佐藤に救い出された田中とともに現れ、圭を助けに来る。
さて、そこから先は厚生労働省の戸崎や生物物理学者のオグラら当局と、佐藤・田中・永井圭の亜人たちとの戦いになるのかと思ったら、物語はそう一筋縄には進んでくれない。
そもそも圭は、どこにでもいる典型的な高校生でもなければ超人的な天才少年でもなく、(こういう表現をすると語弊があるが)ちょっと発達障害めいた妙な感じで描かれている。
それに輪をかけて、一見優しい紳士のような佐藤の、実はただ者ではないしたたかさと恐ろしさが相俟って、不気味な不明瞭さを残して進んで行くところがとても怖い。
これは画もストーリーも超一級のエンタテインメント作品である。僕の少ない経験の中では、『BLOOD THE LAST VAMPIRE』(あるいは TVシリーズの『BLOOD+』まで含めても良いが)以来の衝撃である。
来年5月には3部作中の第2部が公開されるようだが、これは何が何でも観たいと思った。
途中で原作を追い抜いてしまったので、第2部の途中からは原作とは違うストーリーになるようだ。
年明けには地上波で TVシリーズの放送が始まる(NETFLIX での配信もあるとのこと)。こちらも要チェックである。
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