『ネットフリックスの時代』西田宗千佳(書評)
【10月26日特記】 著者本人があるインタビューで言っていたが、これはネットフリックスの研究書ではない。時節柄「ネットフリックス」を入れておいたほうが売れるだろうという出版社の思惑でつけられたタイトルである。
確かにネットフリックスという「黒船」が来航したことによって、この本のサブタイトルにあるように「配信とスマホがテレビを変える」事態になると世間で喧伝されているが、それは独りネットフリックスによるものではない。
本書は配信とスマホによる視聴の状況と、それがもたらすライフ・スタイルの革命的変化と、そして、そのことがテレビや配信を要素とするウィンドウ戦略を変えていくだろうという予測を、あますところなく書ききっている。
僕のように仕事でこういうことに日夜関わっている人間にとっては新奇な情報はほとんどないが、著述は平易で、しかも上手に整理されているので、これからこういうことを考えていこうとする人にとってはうってつけの入門書だろう。
いや、単に事実を整理した入門書だというのではなく、著者は極めて的確に総括した上で、非常に説得力のある展望を読者に示してくれている。いくつか本文から引用してみたい。
メディアとしての接触回数が減っている世代には、ソーシャルメディアから誘引される視聴への欲求を逃すことなく満たせる「仕組み」が必要になる。そもそも見逃し配信がなければ、ソーシャルメディアで「この番組が面白かった」と言われても意味がない。(77ページ)
SVOD によって「イッキ見」のスピード感が広がっていくと、そこでも、この60年間にテレビ放送が築いた「当たり前の事情」を問い直し、ビジネスモデルを考えなおす必要が出てくる。(107ページ)
人びとは音楽が嫌いになったのではない。音楽を話題にしても、その体験が共有しづらくなったのだ。(129ページ)
最初はテレビと同じだと思っていたスタッフの意識が、どんどん変わっていった。尺(番組の長さ)を合わせる必要がないこと、CM を入れるタイミングを気にしなくていいことに気がついて、『ならばこんな風にできる』と工夫するようになっていった。(188ページ、Huluの船越氏の発言)
そんなに『初』であることを、お客様は気にするだろうか、というのが正直なところ。初めて出ているかどうかより、それが面白いかどうかのほうが重要。(中略)独占されてどこかでしか見られない、というのは不便なことに過ぎない。(209ページ、dTVの村本氏の発言)
見逃し配信や SVOD の登場は、なにかを破壊するものではなく、生活の変化のなかで「静かに離れていく顧客」を引き止めるものであり、新しい消費スタイルを生み出すものだ、と筆者は考えている。(216ページ)
これらの意見に、僕もほぼ全編に亘って同意できる。良書と呼ぶにに相応しい書物である。
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