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Thursday, October 29, 2015

映画『岸辺の旅』

【10月29日特記】 映画『岸辺の旅』を観てきた。

黒沢清はヨーロッパでは大変評価の高い監督であるが、日本では未だ正当に評価された感がない。

例えば(前作『Seventh Code』は1時間の掌編だったのでその前の)『リアル ~完全なる首長竜の日~』を取り上げると、僕は圧倒的な作品だと感じたのだが、何故だか周りはけちょんけちょんに貶していた。何故この凄みが伝わらないのだろう?

思えば僕も最初から黒沢清が好きだったわけではない。

初めて観た『ドレミファ娘の血は騒ぐ』は、主演の洞口依子のファンだったので熱狂したが、その後はあまり観る気にもならず、2作ほど録画して見始めたものの途中で投げ出してしまったほどだ。

でも、近年の黒沢清は本当に凄いと思う。いや、上にも書いたが、僕が感じるのは「凄さ」と言うよりもむしろ「凄み」なのである。僕の頭のなかでは、クロサワと言えばもうとっくの昔に明ではなく清になっている。

今回はある種のラブ・ストーリーであり、ある種のロード・ムービーなのだが、これまで一貫して死を描いてきたこの作家らしい映画である。

ある日突然夫が失踪し、その生死も判らないまま3年間を過ごしてきた瑞希(深津絵里)。彼女がある夜、夫の好物だった白玉団子を作っていると、突然夫の優介(浅野忠信)が靴を履いたまま傍らに立っていた。

そして、言う。「俺、死んだよ」。

精神を病み、発作的に入水したと言う。体はもう蟹に食われて存在しないと言いながら、しかし、優介の体には足がないわけでも透明なわけでもなく、瑞希が抱きつくとちゃんと実体もある。食事もするし、睡眠もする。

その優介が、「きれいな場所があるから一緒に来ないか」と瑞希を旅行に誘う。

どんな綺麗な観光地かと思うとそうではなく、ただの田舎町である。そこで新聞配達の老人・島影(小松政夫)を訪ね、居候する。

その次は別の町の中華料理屋の夫婦、そして、その後は山奥の農村の一家と、2人は次々にいろいろな人たちの家を訪れる。

それは、いずれも優介が死んでからの3年間に世話になった人々であり、それぞれが死にまつわるいろいろなことを抱えていた。優介はそのいろいろなことに区切りをつけると、瑞希とともに次の場所に移る。

次の場所に移る時には当然別れがあるのだが、それは詳しく描かない。場面が変わると電車やバスに乗っている。

死も同じように描かれる。優介と同じように一旦死んでいるのにこの世に残っている人間がこの世を去る時は、朽ち果てて砂のように崩れて行くわけでも、どろどろと流れだすわけでもない。カットが変わると今いた人物が消えている。

旅の途中で一度東京に戻るシーンがあるのだが、ここでも戻る過程は描かれない。ただ目が覚めると東京で、瑞希は本当に旅に出ていたのか夢を見ていただけなのかも定かではない。

こういうばっさりと省略した描写の仕方が、極めて日本的で、かつ、日本的な余韻に満ちて、ものすごく感慨が深い。

そこに、浅野忠信の淡々とした語り口と、宇治田隆史と黒沢清の共同脚本による、「ああ、これは書けないな」と思わず口に出してしまいそうなほど、見事に流れる台詞回しも相俟って、いつもの黒沢映画の独特のリズムがある。

大友良英と江藤直子が手がけている劇伴の効果も大きい。

そう、この、映画全体を貫く独特のリズムとトーンこそが、黒沢映画の真骨頂なのだと思う。

映画が始まってすぐのところで、ピアノ教師である瑞希が、教えに行っている女の子の母親に小言を言われるシーンがある。このシーンでは奥に小言を言う母親を捉え、手前にずっと深津絵里の後頭部が映っているという、ある種トリッキーな構図になっている。

そして、同じようなシーンが終盤にもある。山奥の農村の塾講師として人気者の優介が、多くの聴衆を前に宇宙を語るシーンである。ここでも奥に喋る優介を捉え、手前に瑞希の後頭部が映っている。

しかし、同じ構図でありながら、瑞希の胸の内は全くの正反対であるはずである。そのことを、瑞希の表情を移すことなく伝えるあたりは凄いなあと思った。

また、一旦東京に戻ったシーンでは深津絵里と蒼井優の“女の対決”のシーンがある。ここでは2人の会話をカメラを切り替え切り替えそれぞれのクロースアップをつなぐ手法が思いっきり怖い。

さらに、ああ、この人は本当はもう死んでいるんだな、この人はもう死んでいてもうすぐ消えるんだな、ということを伝える画作りも、陽が陰ったり、霞がかかったり、あるいはもっと微妙な変化で表してたりするのだが、この辺りも如何にも黒沢清の本領発揮と言うべき、見事な演出になっている。

ストーリー的に大きな仕掛けやどんでん返しがあるのかと思ったがそうではなく、ゆっくりとした、しっとりとした、愛の、いや、夫婦の物語になっている。

いや、単なる愛や旅のお話ではなく、死に別れて初めて分かり合える部分があるのだという、こんな風に文字で表すと「なんじゃ、そりゃ?」と言われかねない感慨を、そこはかとなく感じさせてくれる。

恐らくこの語り口はこの監督とこの男優・女優の組合せでしかできなかっただろう。

先に目覚めた瑞希が、隣で寝ている優介がもう一度死んでしまったのではないかと心配になって、耳を近づけて寝息を聞くシーンの、なんと怖くていじらしいことか! 怖さといじらしさをいっぺんに描ける監督が他にいるだろうか?

やっぱり僕はこの監督が凄いと思うし、この監督が好きである。カンヌで賞を獲ったのも頷ける絶品だと思う。

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