映画『進撃の巨人 エンド オブ ザ ワールド』
【9月27日特記】 映画『進撃の巨人 エンド オブ ザ ワールド』を観てきた。実写版の後編である(前編を観たときの記事はここ)。
うーむ、前にも書いたけれど、「これはちょっと違うもんになっちゃったんじゃないの?」という感じが非常に強い。
ただ、パンフレットにもかなり強調して書いてあるように、これは原作者の諫山創が「完全に違う作品にしてほしい」と強く要望したからなのだそうで、となると違う作品なので違っていて当たり前である。
さらに連載継続中の長編を2時間で完結するストーリーにしようとしたこともパンフには書かれており、まあ、そりゃ違うものになってしまうのも必然である。
だから、なんで原作のリヴァイが映画ではシキシマなのか?ということも、この後編を見れば理解できる。原作と同じ人間に原作とあまりに違う行動をさせるわけには行かなかったからである。
さて、原作と同じか違うかという議論はこの辺にして、では、この物語はこの物語として面白かったかと言えば、残念ながら僕はあまり楽しめなかった。一緒に観ていた妻も開口一番「面白くなかったね」と言った。
一番残念だったのは、前編よりも深みのないドラマになってしまった気がしたからである。少なくとも前編については僕は楽しんだ。
後編はオリジナルな展開が増えたのだが、もう少し練る必要があったのではないだろうか。人間はそんなに単純に極端な行動には走らないものだ。その辺りの背景が書き込めていなかった気がする。
主人公エレン役の三浦春馬もがなり立てる演技しかさせてもらえず、気の毒だった。ミカサ(水原希子)もアルミン(本郷奏多)も非常に薄味の人物設計で、終わりの方になって突然ミカサのマフラーを引っ張り出してこられても、中途半端でしかない。
巨人出現の謎解きとなるシーンでは往年のポップス The End Of The World(邦題は『この世の果てまで』)が使われていた。
この映画のテーマに合っていると思って採用したのだろうが、しかし、あの歌詞は失恋を「世界の終わり」と誇張したものであり、誇張したくなるほどの心の傷を描いた切ないラブ・ソングなのだ。
それをこのように曲げて持って来られると元歌を知る者は白けてしまう。英語を母語とする国での上映は想定していないのだろうか?
「あなたがもう私を愛していないから」「あなたがさよならと言った時から」世界は終わったのだとスキータ・デイヴィスは歌っている。これが聞き取られてしまうとまずいとは考えなかったのか、少し不思議である。
どうしてもこの曲を使うのであれば、例えばその歌詞が(前編で自分を見捨てたエレンに対する)ミカサの気持ちと重なるような場面に仕立て上げられなかったのだろうか? 少し残念である。
結局、感動の巨編に仕立てようとすればするほど、感動は遠のき、ややご都合主義なドラマだけが残った。いろいろ筋を考えた割には、印象としては、出現した怪獣をやっつけるウルトラマンとさほど変わらない構成ではなかったか。
ただ、従来の樋口組に西村造形が加わった VFX は非常に高レベルで見応えがある。そういうところをもっと単純に楽しめば良い映画なのだろう。そして、それができないところが多分僕の(そして妻の)弱みなのだろう(笑)
これを観て面白かったというファンの方は、この文章を読んでも、変なところに引っかかった奴がいたもんだと軽く受け流して、あまり気にしないでいただきたい。
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