『火花』又吉直樹(書評)
【8月27日特記】 何度か読もうとしてやめた。
最初は漫才師を描いた話だと知った時。例えば近未来SFでも書いたというのであれば読む気にもなるが、漫才師が漫才師の話を書いたのでは読む気にならないと思った。
2度めは又吉が太宰治と芥川龍之介が好きだと知った時。これは僕の好きそうな文章を書く人ではないなと思った。
太宰は僕も中高で割合一生懸命読んだ。でも、嵌まりきらずに抜けだした。芥川は、多分僕が読んだ時期が年齢的に早すぎたのだろう。結局ちゃんと評価できないままだ。だが、いずれにしても、その2人が好きだという又吉は、僕の好きな作家ではないだろうと踏んだ。
でも、結局は評判に負けて読んだ。と言うより、受賞前に出演した『サワコの朝』と受賞後の『情熱大陸』という2つのテレビ番組を見て、又吉の感性や考えに共感を覚えてしまったからだ。
読んでみると、確かに近年僕が熱中して読んでいるようなタイプの小説ではない。でも、巧い。そして、整理されている。人物に共感が湧く。
物語は若手漫才師の徳永が、熱海のドサ回りイベントで知り合った神谷(徳永と神谷はそれぞれ別の人間とコンビを組んでいる)を師と仰ぐようになり、ともに遊び、語り合い、鍛錬する話であるが、よりエキセントリックなキャラである神谷のほうが華々しく転落して行く。
この神谷のジレンマは僕自身にもある。だから、非常によく解る。
誰とも違うものを追求するあまり、達成された誰とも違うものは結局誰にも理解されないのである。僕も小さい時から同じ思いに悩んできたが、でも社会に出て生きるうちに、いつしかどこかでブレーキを踏み、ハンドルを切って、皆の車列から大きくはみ出さないことを覚えてしまった。つまりは、日々のつまらない身過ぎ世過ぎに馴化する術を身につけたということだ。
そういう唾棄すべき妥協を避けて、神谷はとんでもないところまで行ってしまう。この小説の最後の部分には賛否があると言われたのはその部分である。
僕は「なるほど、そう来たか」と思った。それは見事に神谷らしい結末である。つまり、この小説はことほどさように巧みに人物が描けているということだ。
作中に語られる2人のギャグの応酬や、それぞれのコンビの漫才ネタが、本当に「らしく」書けている。
そして、神谷が語るお笑い論には穴がなく、整合性が保たれ、意表をついてもいるが、核心をついてもいる。
この構成のうまさには正直言って舌を巻いた。
良い作家だと思う。僕は次作は読まないかもしれないけれど。
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