映画『ロマンス』
【8月30日特記】 映画『ロマンス』を観てきた。
僕はこの企画が一体どういう順序でまとまってきたのだろうかと考えていた。
つまり、最初に小田急からロマンス・カーを使って映画を作ってほしいというオファーがあったのか、それとも物語を考える途中でロマンス・カーを舞台にしたいと思い、さらに主人公には大島優子を使いたいと考えたのか、等々。
映画を見終わって、パンフレットを読むと、プロデューサーからタナダユキ監督に「大島優子主演の映画を撮らないか」と打診があったのが発端らしい。
これはどういう縁かと言えば、大島優子が出演していた第一三共ヘルスケアのミノン全身シャンプーの CM を監督したのがタナダユキだったというところから来ている。
そこまで知ったところで、まず僕は「あ、そういうことだったのか」と納得した。と言うのは、この映画の予告編を何度も見て、なんかミノンの CM とトーンが通ずるところがあると思っていたのである。
まあ、今回この映画の予告編とミノンの CM を続けて見せるキャンペーン展開が多かったこともあるが、ミノンの CM 自体はもっと古くから流れており、この2つの連続性が気になっていたのである。同じ監督なら、むべなるかなというところである。
で、大島優子の映画を撮るにあたって、プロットを書いたのが向井康介である。
向井は山下敦弘監督の盟友として夙に有名であるが、実はタナダ監督の前作『ふがいない僕は空を見た』の脚本家でもあり、かつ、大島優子のファンだったという縁である。
そういうわけで向井はこの映画では「脚本協力」とクレジットされている。引き継いで脚本を完成させたのは、無論タナダユキである。ちなみに『ふがいない僕は空を見た』に出ていた窪田正孝も大島優子の恋人役で、この映画に出演している。
で、プロデューサーがそのプロットを持って小田急に交渉に行き、全面協力を取り付けたというのが企画成立までの順序である。そうだったと知ると、あまり論理的には説明できないが、ああ、なるほどという感じがないでもない。
ところで、劇中で歌われる山口百恵の『いい日旅立ち』は何だろう?
映画の中で45歳の桜庭(大倉孝二)がこの歌を口ずさむ。すると鉢子(大島優子)が続きを歌い、桜庭がなんで知っているのかと驚く。この曲は1978年のヒット曲であり、26歳という設定になっている鉢子が知るわけがないのである。
鉢子は、しかし、母がよく歌っていた歌として、この曲を憶えていたのである。
──それは良い。だが、この歌は JR(当時は国鉄)のキャンペーン・ソングである。45歳の桜庭ならそれを憶えているはずである。それを小田急のロマンス・カーのアテンダントである鉢子が口ずさんだ時に、僕としてはツッコミを入れてほしかったと思うのである(笑)
で、その時点で、あ、そうか小田急のタイアップを取っているから JR には言及できないのか、と思ったのだが、いや、ならば最初からこんな歌を選ばなければ良いではないか、と思い、そこでこの企画は一体どういう順序で成立したのだろう?と考え始めたのである。
閑話休題。
この映画は最初はアテンダントと乗客としてロマンス・カーに乗り込んだ鉢子と桜庭がやがて一緒に、おそらく箱根に来ているであろう(鉢子が高校卒業以来会っていない)鉢子の母親(西牟田惠)を探す、一種のロード・ムービーである。
桜庭は何作も連続して興行的に失敗している映画プロデューサーで、多額の借金を抱えて追われている。その桜庭が車内販売のお菓子を万引きしたのを鉢子が見つけたのが出会いだから、2人の関係はギクシャクしていて当たり前である。
鉢子は仕事の上では優秀なアテンダントであるが、幼いころに父が出て行き、その後母が様々な男たちとの関係に溺れ、やがて音信不通になるという家族的なトラウマとストレスを抱えて生きてきた。
映画はこの2人を割合均等なバランスで据えてしまったために、少し焦点がボケた感はある。
大倉孝二が如何にも他人をイライラさせるキャラを上手に演じていたので、それをもっと脇に置いて、大島優子のエピソードのほうをもっと際だたせるような演出もあったのではないかな、と思う。
ただ、この2人が2人とも、出口は全然見えないものの、それぞれ何か吹っ切れたところに辿り着くというのが、このストーリーのキモであり、そういう意味ではこういうのもアリなのかもしれない。
長回しをして役者に途切れなく演技をさせるシーンが多い。つまり、監督は自分の考えた構図に役者を嵌め込もうとするのでなく、役者に芝居をさせてそれを画面に写し取ろうとしている。
そのどちらが良いというものでもない。ただ、あ、そういう指向の演出なのかと思う。
僕が風邪薬を飲んでいて少し頭がぼうっとしていたせいかもしれないが、少し単調な作品に思えた。ただ、台詞回しは巧みであるし、大島優子はなかなか巧い役者なので、彼女の能力と魅力は十全に発揮されたのではないだろうか。
とは言え、『百万円と苦虫女』や『ふがいない僕は空を見た』と比べると、タナダユキ作品としては毒が足りない気がするし、『四十九日のレシピ』と比べると毒も清々しさも及ばないような気もする。
まあ、『ふがいない僕は空を見た』と『四十九日のレシピ』はいずれも出来すぎの作品である。この映画自体は決して下手な作品ではない。
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