毛について考える(続編)
【8月31日特記】 最近、毛についてよく考える。先日は全身の様々な毛について書いたが、今日は頭髪について書く。
僕は自分の頭髪の行く末についてはっきり意識した瞬間の記憶がある。僕が小学生か中学生の時の、大きな法事の際の記憶である。いや、ひょっとするとそれは祖母の葬式であったかもしれない。
父方からも母方からも大勢の親戚たちが一堂に会するのを見て、僕は父方にも母方にも頭髪の薄い人は一人もいないことに気づいたのである。老人たちはみんな白髪であった。
ああ、僕は将来ハゲにはならないな、きっと白髪だ。
僕はそう思った。小さい頃から「禿げるかどうかは遺伝によって決まるのだ」と確信していたのではない。禿頭の全く混じらない白髪の大群を見て、ただ直感的にそう思ったのである。それは悟りのようなものだった。
果たしてそれから何十年かが過ぎ、僕の頭には白髪が目立つようになったが、薄くはなっていない。もっとも、小学生時代から理髪師が嫌がるほど毛量が多くて毛質が硬かったのに比べると、さすがに昔日の面影はないが、それでもハゲとは無縁である。
そのことを思い出すたびに、今は禿げ上がってしまっている僕の友だちの中には、そういう親戚の集まりで「あ、僕は将来きっと禿げるな」と思った奴もいたのだろうかと考える。
若くして禿げることにコンプレックスを感じる人は少なくないが、若白髪を気に病む例はさほど聞かない。僕は白髪のコースに進んだために、ハゲのコンプレックスからは無縁な人生を送ることになった。
どちらが良かったということはない。人は誰しもどこかに何等かのコンプレックスを抱えて生きるものである。
ただ僕は、先祖代々親戚一同の力によって、その苦悩とは交わらず、別の形で人生の試練を与えられることとなった。
それはある意味で、毛が僕を守ってくれたと言えないでもない。でも、もちろん毛が全てを守ってくれるわけではない。人生って面白いなあと思う。
Comments
うちの祖父さんも一族郎党を集めるのが好きで、子どものころからいやいや行っていたが、そういえばハゲがいなかった。最近自分の髪が透けて見えてゾッとするが、この記事でちょっと安心した。
Posted by: hikomal | Wednesday, September 02, 2015 23:19