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Thursday, July 02, 2015

『明日のプランニング』佐藤尚之(書評)

【7月1日特記】 さとなおさんの『明日の広告』『明日のコミュニケーション』に次ぐ第3弾。タイトルを見るだけでこの人が如何に未来志向で、かつ如何に未来に対する希望を維持しているかが分かる。

さて、これまでの本ではどちらかと言えばネット側に重心を置いての理論展開であったと思うのだが、今回は本を開いてすぐに「あ、そう来たか!」と思った。

広告のプランニングをする上で、ネットとは遠いところで暮らしている人たちと、ネットのヘビー・ユーザを分けて考えようというのである。解りやすく単純化すると、初めに場合分けをして、その2つに別々に対処しようということなのである。

そういう時代になったのである。

僕はテレビ局に勤めている。会社では決して「もうテレビはダメだから捨てて、ネットの世界に移行しよう」などとは言っていない。「テレビがテレビとしてやらなければならないことはしっかりやった上で、一方でほとんどのことをネットで済ませテレビをめったに見ない層が出てきているので、その層にちゃんとコンタクトを取る必要がある」と言っているにすぎない。

だが、これが通じない人には通じないのである。何故か? 彼らは頭ごなしに「そんなことはない」と結論づけるからである。根拠は「自分はそんなことはないから」。さとなおさんも「ことほどさように、人間、自分に合わせて世の中を見るものである」と書いている(62ページ)。

僕はそういう人たちに対して、「世間にはあなたがたのような生活を送っている人もいれば、全然違うライフ・スタイルの人たちもいます。残念ながらいっぺんに両方に届くコミュニケーションはないので、別々に考える必要があります。こっちにはあれをやって、あっちにはこれをやりましょう」などと、もっと広く丁寧に説き起こすべきだったのである。

それは単に上司を説得して動かすための方便なのではない。それは、この書物、この理論の土台となる部分なのである。

さとなおさんの言う「砂一時代」(この比喩も非常に面白い)に何かを伝えようとするなら、まずそういう風に二分して考える以外に方法がなくなってしまったということである。

それは「砂一」と「砂一以前」と、どちらが優れた人種か、広告ターゲットとしてどちらが重要かというようなことではなく、最初の分析を間違うと何も伝わらないという、極めて当たり前の分析であり教訓なのである。

まずは見極めることであり、公式を覚えることではないと著者は言っている。

そして、もうひとつ感心したのは、成功体験にこだわって部下を抑え込んでしまうタイプの上司を動かすためには、そういうことを理論建ててプレゼンするのではなく、遠回りでも「仲間」を作ることだと、さとなおさんが言っていることである。

このこともやはり、一見個別の仕事の進め方を書いているようでありながら、実は砂一時代のプランニングの根幹について述べたものである。

今回は今までにもまして、とても単純な図式なのに、非常に深い分析になっている。そして、送り手側の仕事としては面倒くさいものになっている。それは覚悟してやるしかない。そういう時代になってしまったのである。

民放の基本的なビジネス・スキームはスポンサーとの BtoB であるが、僕らも視聴者に対してもっとファン・ベースの姿勢に変わっていかなければならない。そのことを改めて痛感した。

読み終わって今、愛に溢れた優しい書きっぷりの余韻に浸りながら、僕はファンの喜ぶ顔を、そして、明日の希望を頭に思い浮かべている。

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