『サラバ』西加奈子(書評)
【6月21日特記】 西加奈子の『サラバ』を読んだ。直木賞受賞作である。
僕にとっては今まで一度も読んだことのない作家だ。ただ、『きいろいゾウ』は映画で観ていた。だから、文体は想像がつかないが、多分こういうトーンの物語を書く人なのだろうというイメージはあった。少し不思議なトーンの物語。
しかし、読み進めながら最初に思ったことは「それほど面白くない」ということだった。いや、全然面白くないわけではない。でも、もっと面白いかと思ったほど面白くはないのである。
4人家族の圷家の話である。語り手は息子の歩。
物語は1ページ目から暫くはイランとエジプトという、一般の日本人にはあまり馴染みのない土地で展開する。その不思議なトーンは『きいろいゾウ』に繋がっている気がする。なるほど、日本の物語を書いてもどこか変わった感じがしたのは、この作家が幼少期をテヘランで過ごしたからなのかと納得した。
歩には僧侶のように禁欲的な父と、何ごとにも貪欲に生きる母と、小さい頃から変人を貫いた姉がいた。この構成が面白い。そんな中で、歩はともかく自己を消す能力に長け、家でも学校でも、一切の揉め事を避けて暮らすようになる。そして、エジプトで歩はヤコブというコプト教徒の少年と親友になる。
ジョン・アーヴィングばりの、長い人生を描く物語である。西加奈子自身もそれを意識しているようで、物語の中に『ホテル・ニューハンプシャー』が登場する。
日本に帰ってから歩には須玖という親友ができ、彼女もでき、大学を出てライターとしての生活を始める。そして、姉は帰国後も彼女なりの変人を貫き、一時はマスコミに取り上げられるほどの有名人にもなる。そこには近所に住んでサトラコヲモンサマという新興宗教のようなものを司っていた矢田のおばちゃんという女性が絡んでくる。
ことほどさように仕掛けは多様なのであるが、しかし、残念ながらそれほど面白くないのである。アーヴィングと比べるのは酷だが、アーヴィングのような、一度本を開いたら先が気になって閉じられなくなるような怒涛の面白さには到達していないのである。
しかし、物語がほぼ4分の3を過ぎた辺りから、この本は閉じるのが惜しくなるくらい一気に盛り上がってくる。ここまでの平板さはこの終盤を盛り上げるための西加奈子の陰謀だったのか!と思うほどである。
歩は人生の意味を見失い始める。カッコ良かった容姿は衰え、仕事も減ってくる。そして、それとは別に、父と母と姉のそれぞれの行動の意味や背景が次々に明らかになる。それは歩にとっては耳の痛い話であった。
かくして、今まで嫌なことに耳を塞ぐようにして生きてきた歩の人生が変わり始める。今まで若干平板だったストーリーが大きく展開し始める。エジプト時代に出てきた「サラバ」という言葉が、多分終盤に出てきて大きな役割を果たすのだろうというようなことは容易に想像がついたが、それでも圧倒的な感動があった。
それは「サラバ」という、普通は別れの言葉でしかない単語を、誰も思いつかないような方向に広げて使った上手さがある。それは変な用法である。でも、多分「サラバ」という言葉が本来内包していた美しさが光っているのである。なかなか技巧に富んだ作家ではないか。
途中の停滞に少し倦んで読み終わるのに随分時間がかかったが、読むだけの意味のある作品だった。
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