『ユリ熊嵐』
【4月4日特記】 『ユリ熊嵐』全12話を見終わった。1クール・レギュラーの深夜アニメを全話観たのは実に久しぶりである。
幾原邦彦という監督は実に変なものを作るとは聞いていたが、全くその通りで、しかも、その変な世界が完璧にコントロールされているところに驚き、堪能した。そう、まさに堪能という表現がピッタリの視聴体験だった。
タイトルからして訳が分からない。ユリと熊と嵐という全く何の繋がりもないものが3つ重なった不思議。まるで落語の三題噺である。
1話、2話あたりだと、これがどう繋がって行くのか見当がつかない。それが次第に繋がって行く、いや、それどころか切っても切れない関係に染まって行く。この計算のしたたかさに舌を巻くのである。
その進行の中に、1話からばら撒かれる数々のキーワード:
「透明な嵐」とは何なのか? 「約束のキス」とは何なのか?
「私たちは初めからあなたたちが大嫌いで、初めからあなたたちが大好きだった」とはどういう意味なのか?
「あなたはスキを諦めますか? それとも人間食べますか?」
「それがセクシー、シャバダドゥ!」
「ユリ承認」
「がうがう」
絵がまた独特である。クマと言われるからクマだと思って見ているが、このクマは人間の女の子より遥かに小さいではないか。何も言われずに見たら絶対熊とは思わないだろう(笑)
我々が抱くクマのイメージは、後足で立ち上がったら人間よりはるかに大きい。そして、山中で人間を襲う。
そういうクマとのギャップの大きさ。おまけにリボンまで付けている。でも、クマはやっぱり人を食べる。それはクマリア星からの光線を浴びたためだ。
そして、人間の女の子に化けたクマがいる。結構少なくない。回が進むにつれて、ひとり、またひとりと正体を現す。
そういう基本線の上に、断絶の壁、ユリ裁判、排除の儀など、いろんな仕掛けが出てきて、ますます見ているものには訳が分からなくなる。でも、終盤それらがちゃんと繋がってくる。
基本は椿輝紅羽、百合城銀子、百合ヶ咲るるという3人の少女たちの友情の物語である。いや、そこに死んでしまった泉乃純花の存在が絡んでくる。
でも、ユリは一般にレスビアンのメタファーとして使われている。この作品でも、それを背景として踏まえた構成をしている。クマはクマだが、マリア様と合体してクマリア様という存在になる。
そして、嵐──「私たちは透明な存在でなければならない」というクラスメートたちの考えを受け入れられず浮いてしまった椿輝紅羽は、透明な嵐の中を吹き飛ばされそうになりながら歩いて行く。
話が概ね見えたところにどんでん返しがある。オープニングとエンディングのテーマも画音ともに素晴らしい。
最終回はとりわけ感動の嵐だった。この見事なトータル・コントロールを名作と言わずして何と言おうか。
見終わって心がほっこりするよ。僕は今とても満足である。がうがう。
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