『EPITAPH東京』恩田陸(書評)
【4月28日特記】 たまたまこの直前に読んでいたのが奥泉光の『東京自叙伝』であったこともあって、どうしてもこの両作を比較したくなる。
ともに東京を舞台とした小説であるというだけではなく、東京の突出した特殊性(あるいは呪縛性)を描き出した小説である。
そして、『東京自叙伝』のほうはいろんな人間(や獣や虫)に次々と生まれ変わりながら何百年も生きている男(女にもなるが)の話であるのに対して、『EPITAPH東京』の(主人公でも語り手でもないが)登場人物の1人である吉屋は「実は僕は吸血鬼なんです」「本物の吸血鬼は歳も取るし肉体も消滅する。ただ、その意識が他者の肉体に継続していく」と告白する。
同時期によくもこれだけ似た設定の小説が書かれたものだ。
しかし、読んでみると、2つの小説の色合い、肌合いは全く違っている。
『東京自叙伝』はバラバラの時代(や出来事)を繋いで辻褄を合わせようとするような作風である。逆に『EPITAPH東京』のほうはバラバラの話をバラバラに置いていながら、不気味な東京像が煙の中に浮かび上がるような様相がある。
「私」にとって、吉屋とはたまに寄る店でたまに一緒になるだけの男で、何をしている人なのかも知らない。吸血鬼だというのも信じているわけではないが、言下に否定するわけでもない。ただ、時々彼と東京を語り、東京を歩く。そして、戯曲家である「私」は吉屋の発言に触発されて『エピタフ東京』という戯曲を書き始める。エピタフとは墓碑銘である。
この本をサイドから眺めると、白いページの中に緑や紫やピンクのページが筋状に入っているのが分かる。まるで夏に食べる冷や麦に混じっているカラーの麺みたいに。
で、緑の部分は、吉屋が言うところの「本物の吸血鬼」を主人公にした話である。これは恐らく吉屋の発言に刺激を受けて戯曲家の脳内で生成された世界だと思う。
そして、紫のページは彼女の作品『エピタフ東京』の一部である。女性と料理と仕事と殺人の話。
ピンクっぽいページは挿画である。
他に彼女の担当編集者であるB子が出てくる。3.11が取り上げられる。
それぞれの話は何の脈絡もなく並べられている。そして、そのうちのいくつかの章は小説と言うよりもむしろ東京論、都市論を中心とした随筆であり、読んでいると果たしてこの随筆は恩田陸が書いているのか、恩田陸が創りだした劇作家が語っているのか分からなくなる。でも、べらぼうに面白い。そこで展開される東京感が、都市性が、そして、人間論が。
それぞれの話は完結しないし、うまく繋がりもしない。にも関わらず、読後に残るのは東京の、都市の、人間の、統一した印象である。この辺りに恩田陸の尋常でない巧さを感じる。
久しぶりに恩田陸らしい堅牢な構造の作品を読んだ。そして、舌を巻いた。
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