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Wednesday, March 11, 2015

【3月11日特記】 このブログにも多分書いたことがあったと思うが、僕の母親は認知症である。今は特別養護老人ホームにいて、姉と僕が別々にそれぞれ週に1回ずつ様子を伺いに行っている。

最近は部屋に入って行くと、「誰?」と訊かれることが増えてきた。

そういう名前の息子がいるという記憶は底のほうにかろうじて残っているようだが、僕がその息子だとは全然結びつかないらしい。「いいや、全然違うわ。そんな顔とちゃうで」と言う。

しかし、それでもとことん突き詰めるのではなく、とりあえずそういうことにして接してみようか、という風な感じで普通の会話に移るのであるが、その前に自分の頭の中で「知らない顔の息子」という事実に整合性をつけるために、「あんた、顔変わったなあ」などと言うのである。

当然僕も、随分前から、いつかはそんな日が来るだろうとは予測していて、そうなったらさぞかし哀しいだろうなと思っていたのだが、最初に「あんた誰?」と問われた時は哀しみの感情は全然湧かなかった。自分でも驚いたくらい。

哀しみは先に立たないのである。まず覚えたのは恐怖。そう、ひたすら怖かった記憶がある。

昨日まで母であった人に「誰?」と突き放されるのである。ものすごい警戒心も露わに。

しかし逆に、母にしてみたら警戒するのももっともである。見ず知らずの男に「僕はあなたの息子です」と言われるのだから。警戒しないほうがおかしいし、恐怖も通り一遍ではないはずだ。

その母の恐怖感が裏返しになってこちらに伝わって来る。それは僕にとっても怖い光景で、哀しみが顔を出す余裕はない。こちらもひたすら怖いのである。

最初はどういう反応を返せば良いのか分からず、どぎまぎして、うろたえた。でも、回を重ねて、最近ではさすがにそれにも慣れてきた。

先週行った時には、本当に息子なら証拠を見せろと言われた。これは初めてである。会社の顔写真入りIDカードを見せたら、名前と写真を確認して、「けど、こんな顔とちゃうで」と言う。

そして、本当に息子なら我が家の事情に明るいはずだな?と問うてくる。そりゃどういう意味かと訝りながら頷くと、家族しか知り得ない父のエピソードについてのクイズを出された。

難なく正解を答えると、どうやら信用してくれたらしい。と言うか、これまた「とりあえずそういうことにしておこう」という感じである。

そこまで来ると却って楽しいくらいである。いや、純粋に楽しいというのではなく、そのくらいの余裕が生まれるということだ。

脳は矛盾を嫌う。人は当然自分が知っているはずのことの記憶がないとなると、自分の脳はおかしくなったのかと疑うのが普通だろうと思っていたのだが、必ずしもそうではないようだ。顔に記憶のないのは自分が忘れてしまったのではなく、相手の顔が変わってしまったのだということにして、とりあえず疑念の扉を閉じるのである。

自分の記憶にないことが事実であると受け入れるために、その矛盾を解決するパズルのピースを、脳は常に求めるのである。

僕はそのピースのひとつとして、身分証明書を提示し、クイズに答え、顔が変わってしまった男の役を演ずるのである。その役を務められるからこそ、僕は彼女にとって知らない顔の息子なのだろう。

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