いつか来た道
【3月30日特記】 久しぶりにやってしまった。
このブログにもしょっちゅう書いているように、僕は読んだ本や観た映画、行った場所などを次から次へと忘れてしまう。それで、一度読んだ本をもう一度読んでしまったり、一度観た映画をもう一度観てしまったりすることがある。
映画『ナインハーフ』を2度目に観たときも(と言っても、2度とも自分が選んで観たのではなく、知人の家などで観せられたのだが)、随分映画が進んでから、なんで自分は先の展開はおろか、次のカット割りまで分かってしまうのだろう、とものすごく不思議に思ったのだが、そのときは気がつかず、家に帰ってから一度観た作品だと知った。
もちろん、これはマシなほうの事例で、最後まで気づかないこともある。
ジョン・アップダイクの『走れウサギ』を2度目に読んだときは、「そうそう、この本はいつか読もうと思ってたんだ」と思って本を買い、読み終わって自分の本棚にしまおうとしたら、同じ本がもう1冊あって驚いたのである(僕は読まずに放っておくことはしないので、間違いなく一度は読んでいる)。
ただ、最近は観た映画も読んだ本も、一部の例外を除いてこのブログに記事を書いて載せているので、可能性としてはそういう間違いは減っていてしかるべきである。
しかし、それは「ひょっとして読んだかな?」などと思った時には確かめようがあるというだけのことで、「この本は初めてだ」と最初から疑うことがなければ、調べもしないので、何の意味もない。
そういう訳で今回やってしまったのは、ドン・デリーロの短編集『天使エスメラルダ 9つの物語』。
最初の短編『天地創造』では、「南のリゾート地で、欠航やらオーバーブッキングやらで、こんな風に毎日毎日飛行機に乗れない話を、以前もどこかで読んだことがあったなあ」とは思った。しかし、それはよく似た設定の別の小説だと疑わなかった。
次の『第三次世界大戦における人間的瞬間』は全く読んだ記憶がなく、「面白い設定を考えたものだ」と感心した。
そして、3作目の『ランナー』で、「あ、この短編は前にも読んだことがあるぞ」と初めて確信を持った。しかし、それでも「多分、柴田元幸が編んだ他の短編集だった。何だったのか調べてみなきゃ」などと考えていた。
ところが、4作目の『象牙のアクロバット』では、「それが終わったとき」という書き出し以降、暫く何が起こったか書かれていない小説なのに、3行目ぐらいでそれが地震であることを自分が知っていることに気づいて愕然とした。
この本は前に読んでいるのである。
帰宅して自分のブログを検索してみると、果たして 2013年11月13日付で書評を書いている。
ふむ。そうか。ま、仕方がないと言うほか仕方がない。
問題はこの本を間違って2冊買ってしまったのか、それとも1冊を2度読んだのかということ。
幸いにして本棚には同じ本はなかった。多分ドン・デリーロの本は売ったり捨てたりしていないので、同じ本を2度読んだのだろう。
僕の本棚の中で立っている本は読んだ本で、寝ている本はこれから読む本なのであるが、何かの折に間違って寝かしてしまったのだろう。
それがせめてもの救いであるが、しかし、考えようによっては、同じ作品を平気で2度楽しめる僕は幸せなのかもしれない(笑)
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