モラハラと上から目線と昔の人を考える
【2月18日特記】 セクハラ、パワハラ、マタハラは知っていたが、世の中にモラハラなるものがあることはつい最近になって知った。
モラル・ハラスメントというのは、いろいろ読んでみると却々複雑なもののようだが、解りやすくちょっと乱暴に言ってしまうと、価値観の押しつけを伴う精神的暴力である。
自分が正しいと思い込んでいることが実は間違っているかもしれない、あるいは、自分には当てはまっても他人には当てはまらないかもしれない、という想像力が働かず、自分の幼稚な正義を押しつけて他人を支配し、罠に嵌めるような物言いで操作しようとするらしい。
しかし、考えてみたら、僕らが通っていた頃の学校の教師や、入社した頃の会社の上司にはそんな人は山ほどいたような気がする(笑)(いや、笑っている場合ではないか)
僕らはそれに耐えるしかなかったのであるが、こうやって公の名前をつけてくれると糾弾しやすくなる面がある。ある意味「上から目線」と同じようなものかもしれない(それよりは遥かに深刻なものなのだろうけれど)。
僕らは上から目線にも耐えるしかなかった。と言うか、まあ、そこにはそれほどの抵抗感もなく、上の人が上から目線なのは当たり前だ、仕方がないという、どちらかと言えば大らかな気持ちがあった。
自分が少し上の立場に立った時も、多少上からの物言いをしたほうが良いのだろうけれど、一体どういう言い方が良いのかな、などと真剣に考えたりもしたくらいだ(笑)
ところが、「上から目線」と名づけることによって、突如としてそれは誰にも抗えない断罪の旗印となった。
僕らとしてはそこに多少違和感を覚える面もあるのだが、一方モラハラに関しては、名前が与えられてしっかりと排除すべき対象に認定されたのは良いことだと思う。名前がついて初めて、被害者が被害を自覚し、社会が加害者を抑えられるという面もあるだろう。
僕ももう耐えるだけでやり過ごす気はない。
自分の価値観を押しつけてくる人間、他人を支配しようとする人間に対しては、それが上司であれ同僚であれ、長年の友人や恩人であっても、仮に血を分けた親子や兄弟であったとしても、僕は徹底的に戦って排除して行く構えである。
モラハラの加害者は「精神の吸血鬼」なのだそうだ。羨望が加害者の原動力であり、加害者は「自己愛的な変質者」なのだそうだ。
と、そこまで読んでふと考えてみると、やっぱり昔は学校にも会社にも近所にも、いや家庭内にもそういう奴はごろごろいたように思う(笑)(いや、笑っている場合ではないか)
世の中は少しずつ良くなっているのだろう(笑)(と笑って暮らして行きたいものである)
Comments