映画『さよなら歌舞伎町』
【1月30日特記】 午後から半休を取って映画『さよなら歌舞伎町』を観てきた。ああ、昔の廣木隆一が帰ってきた! こういうのこそが廣木監督が撮りたい映画なのだろうな、と思った。
別にこのところ廣木隆一は金のために気の向かない映画ばかりを撮り続けてきたなどと言うつもりはない。とは言え、あまり廣木らしからぬ原作モノや時代劇まで請われて撮ってきたのも事実である。
それに対して今回の企画は製作委員会のオファーを受けたものではない。しかも、『ヴァイブレータ』や『やわらかい生活』で廣木監督と組んできた荒井晴彦のオリジナル脚本である。
冒頭のシーンで、朝から沙耶(前田敦子)が部屋の中で小声でギターの弾き語りをしている。その曲がなんと下田逸郎の『ラブホテル』ではないか!(ぱっと聞いてそこまで分かる人は少ないとは思うが)。
まあ、映画のテーマには合った曲だが、なんでまたそんな古い歌を、と思っていると、沙耶の同棲相手の徹(染谷将太)がベッドの中から寝ぼけ眼でその歌詞にツッコミを入れる──「今どき『回るベッド』なんてねーよ」。
徹との関係がちょっと停滞気味で、最近セックスレスになっている沙耶は気が気でない。「なんでそんなこと知ってるの? 誰かと行ったの?」と。
しかし、徹は最近誰かと行ったから知っているのではない。沙耶にはお台場の一流ホテルに務めていると偽っているが、実は彼は歌舞伎町にあるラブホテルの若き店長なのである。
──という風に、ものすごく滑らかに繋がって行く、本当によく練れた脚本なのである。ことほどさようにしっかりと編み込まれた作品である。映画を見終わってから気づいた点もたくさんある。
廣木隆一にとっては初めての群像劇なのだそうだ。
5組のカップルが出て来る。
まず、徹と沙耶。徹は3.11の被災者。沙耶に専門学校の学費を出してもらったのに、一流ホテルには入れずにラブホテルで働いている。沙耶はアマチュア・シンガーで、最近プロデューサーの目に止まりデビューできるかもしれない。
そして、時効を目前に控えた指名手配中のカップル康夫(松重豊)と里美(南果歩)。韓国からの出稼ぎペア、ヘナ(イ・ウンウ)とチョンス(ロイ)。風俗スカウトの正也(忍成修吾)と家出中の女子高生・雛子(我妻三輪子)。警官同士の不倫カップルである理香子(河井青葉)と新城(宮崎吐夢)。
それ以外にも、沙耶に邪な動機で近づくプロデューサー竹中(大森南朋)、真面目に専門学校に通っているはずの徹の妹・美優(樋井明日香)、デリヘルの客・雨宮(村上淳)など、いろんな人がこのホテルに入ってくる。
カップルとして、風俗嬢と客として、お互いに思惑のある男女として、そこで撮影するAVの出演者として、そして従業員として…。
皆それぞれにいろんな事情を抱えている。しかし、どの人物を描くときにも、愛情に満ち溢れた描き方になっている。
この映画の登場人物を、例えば「歌舞伎町の底辺に暮らす人々」といったまとめ方をする人がきっといるだろうと思うのだが、この映画は人間に対して底辺とか頂点とかいう視点を持っていない。
歌舞伎町に住んでいる作家の岩井志麻子がパンフに書いている:
歓楽街は歓楽街だ。欲望を否定せず楽しむ町で、そこに従事する人達とそれを求めてくる人達で、眠らない街になっているだけ。人を食う怪物が棲みついているのでもないし、殺人鬼が武装してそこいら中に潜んでいるのでもない。
そう、ここで描かれているのは特殊な街・歌舞伎町ではなく、人間一般の息吹なのである。
セックスに対しても、欲望と性倫理という難しい題材を扱いながらが、見事にケレン味のない描き方になっている。
セックスなんてご飯といっしょだ、と言っているように僕には思えた。
そりゃ、たまに、食べそびれたり、逆に食べ過ぎたことを後悔したり、ひどい場合は食あたりに苦しむようなこともあるだろうけれど、三度三度食べているうちに、そんなことはすぐに忘れてしまうのである。でも、食事やセックスなしに生きるわけにはいかない。
──そんな感想を僕は持った。
話としては、新宿にラブホテルなんていっぱいあるだろうに、いくら偶然とはいえこのホテルに集まり過ぎという恨みはある。けれど、非常によく考えられた面白い展開である。
そして、場所がガチャガチャした歌舞伎町の、しかもラブホテルの中ということもあって、いつもの廣木隆一監督特有の、あの人間存在のちっぽけさを見せつけるかのような引き画はない。
それでも、しかし、本当に廣木隆一監督らしい魅力に溢れた映画だった。
バスルームで、ほぼ固定のカメラの前で韓国人カップルに長い長い芝居をさせたシーンが圧巻であった。
キャスト・ロールもスタッフ・ロールも全部終わって、あとは館内の照明が灯るだけかというところで、最後の短いシーンがある。これがとても良いシーンなので、慌てて席を立たないようにしてほしい。
とてもポジティブな映画で、見終わって生きる力が漲ってくるのを感じた。
Comments